2025年2月


スイカ        日日さらこ(ニチニチ・サラコ)


 スイカを食べている。

 暑い夏にこれほど似合う食べ物は他にあろうか。と、今年ほど身に染みて思ったことはない。汗ダラダラで外出先から戻る時、冷蔵庫にスイカが冷えていると思うだけで足取りが軽くなる。みずみずしく、シャキシャキして、程よい甘さ。どんな高級な果物も、スイーツも、アイスクリームも、かき氷でさえ、スイカに勝るものはない。

 

 昔から、夏にスイカはかかせなかった。海水浴、お祭り、キャンプ、いや、普段の夏の日にも、いつもスイカがあった。わたしが小学生のころ、中学生のいとこと姉と一緒に、赤ちゃんが生まれたばかりの親戚の家に行く時も丸いスイカを抱えていた。スイカは誰もが喜ぶ。スイカなら安心。八百屋さんにも、スーパーにも、スイカがゴロゴロと並んでいた。わたしたちはポンポンとスイカを叩いて、おいしそうなものを選んでいたものだ。

 それなのに、スイカの生産量も消費量も減り続けているという。夏はどんどん暑くなる一方だというのにどうしたことか。

 今、スーパーの果物コーナーに、丸いスイカがゴロゴロ並んでいるということはない。並んでいるのは、4分の1、8分の1に切り分けてあるスイカだ。確かに、丸ごとは冷蔵庫に入らないし、食べきれるほど、家族もいない。うちも3人家族だから、買うときは8分の1だ。そこに最近、一口大にカットされたスイカが入っている小さなパックを見つけた。これは、ひとり暮らしの高齢の方や、包丁を使いにくい人などにとってはうれしい配慮だろう。けれど、どこか寂しさがつきまとう。

 丸いスイカには包容力があった。何人でも大丈夫。親戚の知り合いでも、友達の友達でも、近所の人でも、誰でも食べにいらっしゃい。いつでもどうぞ。

ザクザクッと切って、みんなでかぶりつく。

 丸いスイカを見かけなくなったと同時に、あのスイカの周りにあった包容力もどこかに消えてしまっていないだろうか。

 

 まだまだ暑い日が続く。今日もスイカを食べる。8分の1でもいい。パックに入っていてもいい。暑い日はスイカを食べましょう。みなさん、スイカのこと、忘れていませんか。

 

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 

 熊谷に引っ越してきた翌年と、その翌年の2回、畑で夫はスイカを育てました。5月の終わりごろ苗を買ってきて植えつけます。

 スイカはたちまちツルをのばし、みるみるうちに畑はスイカ畑となりました。ぽこんぽこんとあちらこちらにスイカの子どもが生まれます。育てやすい果物と云えるでしょう……。

 ところが、実ができるや、このスイカを狙うものたちが、吸い寄せられてきます。

 四つ足の生きものもきているみたいです。足跡が残っていましたから。あれはハクビシン? 四つ足さんは姿を見せませんでしたが、あからさまにスイカを狙うのがカラスです。

 わたしにとってカラスは、身近な存在で、とくにうちの庭によくくる2羽については、たぶんあれはジロウで、こちらはカノコだという具合に見分けがつき、それは3回に1回くらい正解だと思います。ジロウとカノコのほうでも、わたしを身近な生物と認めてくれているのに、畑のスイカを狙います。さーっと空からおりてきて、くわっと食べるのですよ。

 スイカが好きなら、1個や2個はあげるからさ、全部をつつこうとしないでよ、と思います。

 

 あ、ごめんなさい。

「日日さらこ」さんの「スイカ」につつかれて、つい。

 急いで畑ばなしを結末まで運びますと……、1年目カラスと闘った夫は、20個近く収穫できるはずのところ、無キズのスイカを3個しかものにできませんでした。

 2年目は、スイカの実がなる前に、畑にテグスを張りめぐらせました。なんだかおそろしく時間をかけて。おかげでスイカはたくさんとれましたが、3年目はスイカ作りはしなかったのでした。

 

 夫よ、スイカ、好きなのにね……、残念。

 

 けれども、「スイカ」を読んで、ことし、夫にスイカづくりをすすめて、わたしも少しくらい手伝ってもいいかなと思ったのです。

 スイカへの愛がむくむくと湧きました。

 皆さんは、どうですか。

 この夏、スイカにこだわろうと、身がまえているのではありませんか?


2025年1月


ジュリーを見た日   砂丘じゅり(スナオカ・ジュリ)


「BSで沢田研二75歳バースデーコンサートをやるよ」

 家人が言う。

「えっ? ジュリーのコンサート? 放送あるの? 見ていいの?」

 9月1日のことだ。

 7時から3時間の放送とある。時計を見ると6時半。わたしは1人で先に夕食をすませ、テレビの前に座った。

 コンサートはタイガースの楽曲から始まった。サリー、ピー、タローが演奏し、虎の着ぐるみに身を包んだジュリーが歌いだした。あの頃のうただ。タイガースの全盛期。わたしは中学生だった。

 

 中学2年生の時。昭和43年(1968年)。3学期の期末試験の前だ。近くの海岸で2日間、映画の撮影のためタイガースがやってきた。女生徒たちはほぼ全員、勉強が手につかなかった。

 映画撮影1日目。放課後、部室に行くと誰もいない。先生がやってきた。

「おまえもタイガース見たいんだろう」

「はい!」

 と答えると、

「練習はなしだ」

 と言って、先生は音楽室を出ていった。

 わたしはそれまで出したことのない力で自転車をこいで海岸へ向かい、時計を見て宿泊先で待つことにした。しばらくすると真新しい「国民宿舎白子荘」の玄関前に、黒山のような女性たちが押し寄せ、その間を縫うように大きな黒い車が2台止まった。わたしはもみくちゃにされながら、車のドアを見ていた。

 ジュリーは1台目の車から出てきた。にこりともせず、早く玄関へ入ろうとしているようだったが、着ていた衣装の肩の飾りが引きちぎられ、黄色い歓声の中で立ち往生していた他4人のメンバーはとても愛想がよく、とまどいながらも笑顔を振りまいていた。

 いつまでもその場から去ろうとしないファンのために、タイガースが屋上に出てくれることになった。芝生の庭で屋上を見上げていると、5人が現れた。4人のメンバーたちは、にこやかに手を振ってみせたが、ここでもジュリーはにこりともせず、ファンの女性たちを見おろしていた。

「氷のように冷たく美しい。はっきりと整って憂いのある顔。世の中にこんな美しい男の人がいるのか!」と思いながら、じっとジュリーを見つめていた14歳のあの日。

 あの時のジュリーが75歳になっても、ひたすら歌っている。バースデーコンサートの1年後の今、それをテレビで見ているわたしも71歳になった。人生は続いているのです。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 わくわくしました。

 タイガースファン、「沢田研二」ファンですもの。

 時代ごとに湧き上がるもの——文化、芸能、スポーツ、ファッションほか——は、時がたってもものがたりがひろがりますね。自分を育ててくれたものがたり、彩ってくれたものがたり、進化させてくれたものがたりです。

 

「ジュリーを見た日」は、読むわたしたちに大事なものがたりを思いださせ、それを現在と、そして未来の自分とつなげてくれましたね。

 中学生時代のものがたりの挿入も、自然で、読ませます。思いがつよくても、過剰にならないところが魅力的、とわたしは感心しています。


バニティケース     平木智子(ヒラキ・トモコ)


 かつてロンドン在住の初期、1990年代はじめ、労働許可証取得の縁で日系の免税店「いぎりす屋」で働いていた。

 年2回の大セールは大盤ぶるまいの値付けがされ、日本からの旅行者や現地住いの顧客でいつも大盛況であった。

 バブルがはじける以前は、品々が飛ぶように売れていった。

 それでも売れ残ったディオールのバニティケース。これをさらに社員割引で購入した。サイズは32×23×高さ22cm。

 もう32年も私の朝の身支度に付き合ってくれている。長い歳月の使用で、箱型本体の両サイド皮部分の角はすり切れ、ロックもバカになり、ワンタッチでは開かなくなった。

 蓋の内側に設置されていた鏡はシミで曇り、用を足さなくなったので、とうにはずされ捨てられた。

 パリ、ディオールの輝きを失った化粧道具入れになっていた。

 

 新しいのに買い替えようかと、デパートを3、4軒見てまわったが、どこも一様に布製かビニール製のやわらかい素材で、サイズも旅行用かと思うほど小ぶりであった。

 ヨーロッパのバニティケースは、ブランド物に限らず、ほとんどが先のサイズで、しっかりとした箱型だった。

 この頃は体力に自信がなく、ロンドンへ出かけることも叶わなくなったので、むこうで購入することもできない。

 さて、どうしたものかと買い替えのことを思いながら数年が過ぎていった。

 このバニティケースは、外観はディオールのロゴシートと上質の牛皮で仕上げられていて、存在感を示しているだけでなく、箱自体が実に堅牢である。だからこそ、30年以上も使用してきたのだ。あらためて見直すと、見た目には少しシャビィになっているが、化粧品各種をびっしり収めてもびくともしない頼もしい箱であることに気づいた。

 かたくしぼったタオルで丁寧に拭いてみると、随分とスッキリしてきた。

 うん、うん、やっぱりディールの貫禄だ。

 ここまで頑丈につき合ってくれたのだから、残りの私の人生いっぱいまでこのまま伴走してもらおうかとの思いに至り、買い替えの固執から解放されて、安堵の日々である。

 

 2024年10月7日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 身近な道具、とくに自分自身に関わる働きをするモノたちは、友だちのような存在ですね。だからこそ、間に合わせで求めたりしないで、気に入ったもの、手にも目にも馴染むモノを選びたいと思うのです。

 バニティケース。

 わたしはひきだしです。

 そのほかに外出用のミニをひとつ、旅用のをひとつ持っています。どれも実用的で、ものがたり性に欠けているような。

 本作を読んで、そもそもバニティケースということばに惹きつけられました。

 そうして、使い古したバニティケースをかたくしぼったタオルで丁寧に拭き、さいごまでそばにいてもらおうと心を決める結びのところで、思わず泣きそうになりました。


ゲリラ襲来      スズキジュンコ


 雨というのは水の粒が連なって降ってくるもの。こうして眺めていると、窓の外の雨のスジは細目に開けた蛇口から出てくる水道水のようだ。

 分厚い雲が覆っている。午前11時、外は真っ白や。

 ときおり稲妻が走って、案外と明るい。

「ゲリラ豪雨」というだけあって、部屋の窓から見ていてもかなりの迫力。

 

 外に出て、やってやりたい。

 

 マンションのエレベーターまでは屋根があるけど、傘を差して歩く。スカートの色が水色から青に変わる。部屋の中にいるときは「ざー」と聞こえていた雨音が「ごぉうわー」に変わった。

「ゲリラライブ」

 さあ来い!と、ここが得意のノリノリ気分。

 

 1階まで降りたが、エントランスから外に出る勇気が出ない。

 滝のような雨に傘は用を成さなさそうだし、アスファルトからの跳ね返しが半端ない。地面からも噴水のように雨が上がっている。

 重い雨の圧に胸が押される。

 でも、その中に入ってみないことには……。

 

 閃光と同時に「ばりっ どっわーん」と爆発音が響く。落雷はすぐそばだ。

「ひぃっ おっかない」

 さらなる奇襲攻撃を仕掛けて来るかもしれないわ。だって、「ゲリラ」ですもの。

 身の危険を感じた私は外に出ることなく、部屋に戻ることにした。

 なんというか、あっさりの撤退。

 

 エレベーターを降りて自分の部屋に戻る時、なんの意味もないけど、行きには差した傘をささず、あえて廊下の外よりを歩いた。

 部屋の前まで来たところでまた雷鳴がとどろいた。閉じた傘に抱きつきながら、へっぴり腰で鍵を開けようとしたが、動揺していて、すんなりと鍵穴に鍵が入らない。でも、背中に雨を受けながら「滝修行かよ」と言ってやった。

 抵抗と悪あがきはしたってわけ。

 

 おそらく、部屋を出てから、戻るまで5分と時間が経たなかったと思うが、私はヘトヘトになった。

 玄関先でスカートを脱いで、シャワーを浴びに行ったのに、脱衣所に立ってびしょ濡れTシャツにパンツ一丁で、何故だかタオルで髪の毛を拭いて、ぼんやりする。

 

 ぼんやりしている間にゲリラは雨雲を引き連れて場所を変えた。

 しょぼい小雨が途切れるのを待たずして、ベランダに雀が飛んできて、呑気そうにチュンチュン鳴いている。蝉も一斉にミンミンミーンと狂い鳴きを始めた。

 此奴らは、どこに忍んで、ゲリラの襲来を凌いでいたのだろうか。

 やるなー。

 いつどこで何に襲われるかわからない。その時の身の処し方を、どうやって学ぶのだろう。

 

 それに引き換え私ときたら、相手の手ごわさなど露ほど考えず、ゲリラとの対戦を思いついたものの、リングに上がる前にご辞退申し上げ、お為ごかしのこっぱずかしい一人芝居をして、ダメージを食らって、一発ダウン。

 あーあ せめて虹でも出てくれりゃいいのになぁと思うけど、世の中そんなに甘くない。

 シャワーを浴びて、コンビニスイーツでも食べることにしよう。

 いや、やはりビールにするか。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 威勢がよく、正直で、ああ、気持ちがいい! と思うのです。

 

 威勢のほうは、わたしもおずおずとやってみることは、あります。威勢よさげに書くのです。

 けれど「外に出て、やってやりたい」と出撃したのに、雷に怖気づいて「ひいっ おっかない」とは書けないのですよ。

 カッコつけちゃうというか。

 雷が怖いくせに、ね。

 

 書き手の「正直」は、読み手を安心させます。

 安心もさせるし、信用を生みます。

 結果としてに読み手は「どんなことにもつきあいますよ」という気分になるのです。


                        100字エッセイ祭り

 
 会員の皆さんの「100字エッセイ」傑作選です。

 通常の作品発表は、作家に前もってお知らせし、文字データをいただいて準備しますが、「100字エッセイ」はお断りせずここに発表します。

「100字エッセイ」は書き手をいろいろな意味で鍛え、脳もこころもやわらかくしてくれます。どうかそれを信じてとり組んでくださいまし。 山本ふみこ

 

 

***** 臼井嘉子 (ウスイ・カコ)

 

向こうに見える真鶴半島の真ん中あたりから、ゆっくりと陽が昇る。オレンジ色の光が反射して海は白く煌めき、寄せては返す波音がかすかに聞こえる。裏のみかん畑からは鳥のさえずり。吉浜の1日が始まります。(97字)

 

 

裏の畑からみかんをいただいた。ぐりぐりしぼって、氷を3つ。「あー美味しい」。子どもの頃、みかんを食べすぎて手の平が黄色くなったよな。みかん3個でグラスなみなみ。これでビタミンC 1日の必要量なんですと。(100字)

 

 

***** 三澤モナ(ミサワ・モナ)

 

「お父さん何拝んだの?」と男の子。「オレはもう世界平和のことしか考えないの!」とお父さん。ハッとして見とれる。坊主頭で迷彩色ズボン、強面のお父さんの真似をして、私も世界平和をお祈りする。神社にて。(98字)

 

 

「入院患者さんたち、ワールドシリーズで盛り上がって、みんな元気になったの。すごいね、大谷効果。ある患者さんにドジャース勝ちましたね、って言ったら、ヤンキーズファンだった。思い込みに注意だね」娘の話。(99字)

 

 

***** きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)

 

この秋訪れた山口県仙崎にある「金子みすず記念館」。「いつも丁寧な人でした」とは、みすずさん小学校のときの担任の先生の言葉である。丁寧な字、言葉、所作。そして心遣い。写真の中の詩人は遠くを見つめていた。(100字)

 

 

「豚肉のりんご煮を作ったのに何も言わないばかりか、残したのよ」出張で飛びまわる夫君のためにお鍋でコトコトと。電話の向こうで、友はふくれている。秋の夜長、退屈していた私に降ってきた微笑ましいひととき。(99字)

 

 

***** スズキ ジュンコ

 

ハスのきんぴらなどつまみ、ぼんやりしながら、ジンとか、あれとか飲んでんのよ。記念日。誕生日。ゴールデンウィークにお盆休み。クリスマスも、年末年始も。「スズキジュンコ」通常ダイヤにて運行しております。(99字)

 

 

新聞広げてうたた寝してる父に「今日は暖かいから、お散歩どう?」と誘ったら、薄目をあけてチラッとこっちを見た。「散歩日和なのになあ」としつこく言ったら、大あくびして目閉じちゃった。ムム 猫になったのか?(100字)

 

 

そーだ そーだと思うことあり。しかし、何故そう思うのかはわからない。だからさ、それはさ、「恐らくは日本人と呼ばれる以前の死に絶えしヒトビトの祈り有りてー」すまぬ。これはエレカシの「生命賛歌」の歌詞だ。(100字)