ふみ虫舎エッセイ通信講座作品集
2022年12月の公開作品
ちょっとダメな………私 三峯かなみ(ミツミネ・カナミ)
苦手な物がある。
排水溝のヌメヌメだ。
どうもいけない。キッチンや浴室の大きな排水溝は忘れなくても、小さな排水溝は見落としがちだ。つい、うっかりと洗濯機の排水溝や、洗面台の排水溝の掃除を忘れてしまう。1日の最後にやり遂げようと、アタマの片隅で考えながら、子どもを寝かしつける頃にはつい、忘れて夢の中だ。
ひとり暮らしの時はまだ良かった。いつでも好きな時間に、ちゃちゃっと洗ってしまえば何の問題もなくピカピカの排水溝が続く。
ところが結婚して家族が増えたら、自分のタイミングでは掃除ができない。うっかりも何日か続けると、静かに、そして確実にヌメヌメが増えていく。気がついたときには、灰色のオバケみたいな、あの汚れがまとわりついてしまっている。
勿論、わかっていますとも。
漂白すればいい。泡スプレーを出して、憎きヌメヌメに吹きかける。それでも、この恐ろしさと言ったらない。夜道でナメクジの行列とすれ違ったような気持ちになる。ああ、逃げ出したい。誰が何と言ってもこれが一番苦手なのだから、仕方ない。
排水溝の存在を忘れ去って、のんきにコーヒーを飲んでいた昨日の自分を恨めしく思う。 そうして悶々と過ごしたこの朝に、やっと私は気が付いた。
毎朝、掃除すれば良いだけだ。
夜が無理なら、朝一番の家事に組み込めば良いだけなのだ。こんな、つまらないことに気がつけない自分を情けなく思いながらも、憎めない。残念な自分の肩をポンポンとしてやりたくなる。
それからは、朝の家事に排水溝掃除を取り入れた。その結果は、見事にピカピカを取り戻せて気分も楽になった。何より、排水溝を取り出すときの恐怖感は格段に減った。
習慣をひとつ見なおすとちょっとしたストレスから解放される。きっと私の生活にはまだまだ、改善点がある。そう思いながら窓に目をやると、サッシの溝に黒ずみを見つける。ああ、ここにもまた解決を待っているオバケがいる。
家事も、生活も、ちょっとダメな私もまだまだ続いていく。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
苦手だとか、得意だとか。
考えなくなったな、わたしは……ということに気がつきました。
ごく日常的なことかもしれないけれど、この作品の展開はいまのわたしには新鮮でした。
エッセイ、随筆には、書き手の佇まい、考え方、思い方、ものごとお受けとめ方見方があらわれます。そうです、文章の魅力と書き手の魅力は重なります。そこには厳しさもありますが、人間力を鍛え鍛え、書きつづけることです。
2022年も、皆さん、たいへんお世話になりました。
2023年も、表現の世界を機嫌よく歩いてまいりましょう。
どうもありがとうございました。
山本ふみこ
土曜日の朝 はやかわなおみ
土曜日の早朝、雨が降っていなかったら名残惜しいけど布団から抜けだし、20分くらい車を運転して長良川へ出かけてゆく。
健康のために歩こうということでノルディックウオーキングのグループに参加していて、少し年上の方たちと 長良川のほとり、岐阜城の建つ金華山のふもとのあたりを3キロくらい歩くのだ。「ポール」という名の、スキーのストックみたいな道具を両手に持って。
ときにはランニングをしている人たちに追い越され、川岸の風景を楽しみながら歩く。
上流で雨が降った翌日、川の水位がおそろしく増えているのに驚いたり、季節によって変わる川岸の雑草の様子を眺めたり。
「暑いね。」
「寒くなってきたね。」
「今日はいい天気になりそうだね。」
美味しかった物を教え合ったり、何処かへ遊びに行って楽しかった話をしながら歩く。
近くにある古い町並みを歩く日もある。
グループの中の詳しい方から「金華山からこの水路までが武士の住んでいた場所で、反対側には商人の住まいが広がっていた」、「山頂には井戸が無いから岐阜城で使う水は下から人が桶で運んだ」など教わる。
金華山のふもと、岐阜公園のなかにある発掘調査中の織田信長の邸跡(やしきあと)を見に行ったり、古い石垣を眺めたりすることもある。
昔の人がここを触ったかもしれないなと思いながら石垣を触ってみたり、何百年も前に戦国武将が、今私の立っているのと同じ場所に立っていたかもしれないと思ったりする。
ずっと昔から時間も吹く風も途切れることなく繋がっている、そしてこれからもずっと続いてゆく……。
そんなことを思いながら、また歩きだす。
ウオームアップやクールダウンも含めて約1時間。
歩き終わった後には近くの喫茶店に移動して、珈琲を飲みながら東海地方名物モーニングサービスの朝ごはんが待っている。
いつも行くこの店では飲み物を注文すると「ミニサラダ」「ヨーグルト少し」「ゆで卵」「トースト」が付いてくる。
食べながら、そしてマスクを着けて話をしながら小一時間。
土曜日にだけ会う皆さんと約2時間楽しく過ごして解散。
「お疲れさまでした。また来週。」
というのが、わたしのここ数年の雨が降らない土曜日の朝。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
これほど豊かな1時間+モーニングサービス(朝ごはん)を、わたしは知らないなあと、感心しています。
皆さん(書き手のはやかわなおみさんも)、この作品を、音読してみてくださいな。
「土曜日の朝」という作品のぬくもりと、表現の連なりのセンスに驚かれるはずです。
音読は大事です。
どうか、脳内で音読しながら描いてください。
書き上げたら、声に出して読んでくださいまし。自ら綴った文章がたしかめられるばかりでなく、そこに読み手がすっくと立っているのが見えますよ。 ふ
くも きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)
「イラついた時は、くもを見てね 。よろしく」
そう言って、手を振りながら5歳の裸ん坊のヨウクンは、お風呂場へと向かった。
聞けば、サッカーの練習をしている時に、お友だちのシンタロウクンにいわれた言葉なんだそうだ。
お風呂に入るタイミングで、なぜそんなことをいったのかわからないが、
「そうよね、イライラした時、空を見上げ、雲を見るのもいいかもね」
わたしは思った。
言葉を覚え始めた小さなこどもたちとの会話は、なかなか面白くて、数年前、保育園で保育補助の仕事をしていた時も、時折受け取る、こどもたちのキラリとした真剣なことばに、わたしは家に戻ってから思い出し笑いをしたり、心がほんわりあたたまるのを感じたものだった。
5歳のヨウクンは、昨年あたりから急に大人のようにおしゃべりしはじめ、(それまでは、ほとんど会話にならなかった)言葉のマイブームもあるらしく、昨年は、「意外と」と「もともと」で、今年は「実は」が気に入っているらしい。
使うタイミングも絶妙で、そばで聞いている大人は、ふきだしてしまう。
ところで、件(くだん)の、
「イラついたときはくもを見てね」
には続きがある。
お風呂から出て真っ赤な顔をしているヨウクンをつかまえ、わたしはきく。
「ヨウクンも、イライラした時は空を見上げて雲を見るの?」
「空の雲? くもって、虫の蜘蛛のことだよ」
「えーっ。だって虫の蜘蛛って、見たい時に見られないじゃない」
5歳の男の子を相手に、わたしはムキになって問いただす。
「結構いるよ。ぼくんち、蜘蛛、飼ってるし」
「サッカーのグラウンドでも、よくみるよ」
一休さんのトンチ比べのようでもあるし、からかわれているようでもある。
でも、まあいいか。
ヨウクンの真剣な表情をみて、こんどイライラした時には蜘蛛を探してみようとわたしは思う。
探しても探してもなかなかみつからなければ、そのうちに、何でイライラしていたか忘れてしまうかもしれないし、本当に蜘蛛を見つけて、蜘蛛の動きを観察しているうちに、
「まあ、いいか」
と思えるのかもしれない。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
雲も蜘蛛も、大好きなわたしは、くらっとします。
ヨウクン、まいりました。
ヨウクンは「きたまち丁子」のお孫さんなのだそうです。おばあさまがお孫さんのことを書こうとすると、じつは、たいていしくじります。
お孫さんとの距離を置けないことで、たちまち表わすものが甘くなり、甘ったるくなり、読み手がもうたくさん!という境地に置いてけぼりにされるからです。
ところが「きたまち丁子」は、そんなふうではありません。
うちの孫は……、なんてことは決して書かない。まるで、秘めた年下の恋人を観察するかのような筆致です。
「きたまち丁子」の関心の対象はヨウクンのことばかりでなく、ヨウクンからおそわったあれやこれやなのです。ここを描くことによって、ヨウクンの魅力が作品のなかで発動します。
お孫さんのことを書こうというなら、その存在を、ぴょーんと遠くに投げるような立ち位置で書くことをおすすめしたいと思います。 ふ
月夜とトウモロコシ 守宮けい(ヤモリ・ケイ)
子どものころ、北海道の小さな漁師町で暮らした。
おやつはカンカイやスルメイカがあたりまえで、干した鱈——カンカイは木槌か金槌か、もしくは石で叩いて、やわらかくしてからちぎって食べた。冬は薪ストーブでスルメイカを炙った。
おやつではないが、隣家に住む、アキモトさんのおばさんが漬けた飯寿司は絶品で、母は教えをこい、家でも漬けるようになったけど、漁師町を離れてからはまったく作らなくなった。何度かつくってほしいとねだってみたが、新鮮な魚が手に入らないからね、と言われた。
もうあの飯寿司を味わうことはないのかと思うと、残念でたまらないのだが、つくづく贅沢な子ども時代ではあった。
北海道のおいしいものに、トウモロコシをあげる人もいるだろう。けれどもわたしは、トウモロコシがあまり好きではなかった。
漁師町から移り住んだのは、農業を生業とする町だった。母は隣家の農家の畑を少し借りて、ナスやトマトなどの野菜を育てた。
「さて。とうきび(トウモロコシ)を獲りにいくか」
夕食後、母がわたしに声をかける。二人はザルと軍手を手に畑に向かう。
なぜ夜だったのか。そして、なぜ姉や妹ではなくわたしだけを誘ったのか。理由は聞きそびれたままだ。
「それはまだ採っちゃだめ」
「こっちをもいで」
母の指示に従いながら、自分の背たけほどのトウモロコシの間をウロウロする。月あかりのした、泥棒にまちがわれたらどうしよう、と子ども心に心配したことを思いだす。
わたしが東京に住みはじめると、母は近くの販売店に自転車を走らせ、毎年朝どりのトウモロコシを送ってくれた。
東京に暮らしはじめてから、わたしは年々トウモロコシが好きになっていった。
最近、生産者から直接農産物を買っている。それは季節のくだものだったり、野菜だったり。
青森県や石川県、三重県など、文字どおり全国津々浦々から、おいしくて新鮮な食べものが、ポチッとするだけで調達できるイマ。
届くダンボール箱に、短い手紙が入っている。
「イノシシの被害に悩まされています」
「台風に備えて囲いをしています」
自然に対峙する作り手の苦労にハッとする。今も昔もかわらない、生きることの厳しさがワンクリックの向こうにもある。野菜の下に敷かれた見なれない地方紙は、土の匂いがして、なつかしい。
2022年10月5日
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
見事な随筆です。
苦心もされているのに決まっていますが、こういうものがするすると出てくるときは、心身が健やかなのだと思うのです。
「守宮けい」という書き手は、何かを削ぎ落としていま在る、のではないでしょうか。
書き手としてこうあれかしという「状態」について、考えたいと思います。
まずは、艶のはなしです。
作品に艶が出るというはなしの前に、肌のこと。いま、ペンを握るその手、タイピングするその指は、しっとりと潤っていますか? お顔、肘や膝小僧、かかとの手入れを怠らず、クリームをたっぷりすりこみましょう。
「書くことと肌の手入れがどう関係するのか」と問われるかもしれません。
これが、あるのです。
大ありです。
肌の艶なしに、艶のある作品は生まれません。 ふ
2022年11月の公開作品
羊の咳 三田村はなな(ミタムラ・ハナナ)
窓から広がる大きな空とどこまでも続く緑、遠くに見える数本の木、私の家の前面に大きな畑がある。
ある年は麦畑。緑の穂が色づくと黄金色一色になる。そして小麦となって日々の生活に登場する。
ある年はじゃがいも。土の中で大きく育ち、ごろごろトラクターで掘り起こされる、人の手の出番はなし。
ある年は菜の花畑。甘い香りが広がる、風なんていらない、ただ香りの中にいる。
視界に入る全面黄色一色はあっぱれだ。
毎年いずれの作物も収穫の後にトラクターで土を耕すとどこからか、いろんな鳥がやって来てそのトラクターの後ろに行列を作る。土の中の小さな虫を狙っているのだ。
また、堆肥を撒いたあと数日はどんな晴天でも洗濯物は干せない、うっかり干したタオルで顔でも拭いてしまったら、その匂いのキツさに一気にノックアウトだ。
そして、今年の冬は羊が来た。
畑にはFodder Beet (かぶの一種)が育ち、それを羊たちが食べる。
まず、緑の葉を食べ、次に少し頭を出した淡いオレンジ色のかぶを食べていた。
ムシャムシャ、ポリポリ、ガリガリ だぁ。
羊を数えるのは至難の業で結局数えられなかったが、150頭はいただろう。
ある月のきれいな夜に外に出てみた。羊がFodder Beet を食べる音だけが聞こえる。
なんか笑える。その中に妙な音、ヒィィーィともゴォフ、ヴォォフとも聞こえる。
羊たちのおしゃべり? それとも喉に詰まらせた? 体全体で出す音だと想像できる。
咳かもしれないとふと思いあぐね、それだ、咳をしているのだ、羊の咳。
寒い冬は羊だって風邪をひく、立派なコートを着ていたってね。
こんな風に家の前の畑と何年も過ごして来た。
春には、また何かの種がまかれた。
しかし、今日トラックやショベルカーがやって来て、目の前の大きな畑の一部、家にして4軒分程の土地が根こそぎ掘り返された、数ヶ月前から聞こえていた家が建つと言う話が本当になった。
大変なことになった。あの景色はもう家の窓からは見られなくなる。
心の中は反対プラカード、でももう決定したのだ、ひと月程のあいだに、いろんな思いが出て来た。
悔しいような思いも、今は仕方がない、になっている。
人間はみんな同じ太陽とお月様の下で暮らし生きている、目の前の環境が変化してもそれは変わらない。邪魔なのは自分の想いだけかな。
家の前に広がる景色は、もしかするとほんの小さな事……いつかまだ見ぬ新しい家族が来るのだ、楽しみじゃないか!
与えられた環境の中で生きて行く、両手を広げた外の世界はいつだってなんとかなる。
工事の後ろに広がる畑には、春に蒔いた種が育っている。
私の大好きなそら豆!
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
なんとも云えない気持ちです。
作品を讃えたい気持ちと、土への郷愁が混ざりあって、わたしはいま、泣いてしまいたいような気持ちでいます。
イギリスから届いた作品です。
*
家の前に広がる景色は、もしかするとほんの小さな事……いつかまだ見ぬ新しい家族が来るのだ、楽しみじゃないか!
与えられた環境の中で生きて行く、両手を広げた外の世界はいつだってなんとかなる。
*
ここを読んで、ほんとうにそうだ! とわたしは叫んでいました。
地球という星に生かされているわたしたち、こうありたいじゃありませんか。
ね、羊たちはもう来ないのかな。 ふ
草を抜く リウ真紀子(リウ・マキコ)
10日足らず留守にしただけだったが、その間に小さな庭にたくさんの芽が出ていた。異常気象というほどの猛暑だったがあっけなく秋が来た10月。
それを待ちかねていたようにさまざまな雑草が発芽していたのだ。雑草という名の草はないという「牧野富太郎」。
図鑑が好きだった子ども時代に憧れた牧野先生に背くようだが、狭い庭を世話しているとすべての植物を放置するわけにはいかず、痛いかい、ごめんよ、と言いながら除草することになる。
特に、10月のうちに手を打たないと春先に大変なことになるのがカラスノエンドウだ。
もしかしたらスズメノエンドウかもしれない。
芽吹きのときには2枚羽根のプロペラのような特徴的な姿で、小さくても見分けやすい。やがてくるりとカールしたひげが茎から分かれて出てくる。そのままにすれば春には一面に広がり小さくてもマメ科らしい花をたくさん咲かせ、サヤインゲンのようなサヤをつける。ママゴトに最適なサイズ。勢いよく繁殖するのが目に浮かぶではないか。ごめんねと言いながら秋のうちに抜かせてもらうしかない。寒くなる前にしっかりと枝葉を蓄えがっしりと根を張って、冬越えに備えようという作戦を邪魔する自分を、もうひとりの自分がじっと見ている気がする。なんと身勝手なニンゲンか、と。
そっと抜くとタネ(小さいが立派な豆)が付いてくる。白い根まで繋がって抜けることもある。除草としては大成功だけれどなんだかそのまま処分できず、たくさん束ねてガラスのコップに活け、しばらく部屋で水栽培せずにいられない。イキイキした姿はなんとも愛らしい。
手元の力加減のせいか、それとも地面の硬さのせいか、同じようにしても茎が地上でプッツリと切れてしまうものある。
痛々しくてまたごめんと言う。
マメ科だから根粒菌がついていて窒素を土の中に固定してくれるから、邪魔にせず利用しなさいという園芸の手引きも読んだことがあるから、切れてしまったものは庭のすみに置いて緑肥(*)とする。豆を実らせてあげられなくてごめん、そして、土を肥やしてくれてありがとう。
毎年、こんなふうに意地悪く除草しているのに、また季節が来ると芽吹くのは、一度土にこぼれた豆が何年でも生きているからなのか、目につかないところでしっかり花を咲かせ小さな豆をばら撒いているのか。いや、自分の作業精度が半分ほどしかできていないからに違いないとも思う。このくらいいい加減なのが良い加減。小春日和の日にまた草を抜こう、でも徹底的にやっつけようなどと思わないほうがいいねと自分に向かって念を押す。
*緑肥 : 青々とした植物を肥料にすることができる。豆科やイネ科などの植物を緑肥作物として蒔いて育て、そのまま漉き込んで土づくりする。化学肥料を使わずに土中に有機物を補給する方法のひとつ。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
リウ真紀子という書き手の、不可思議さ、おもしろみ、偏屈な一面があらわになるといったような、作品です。
きっぱり申しますが、好きな……好きでたまらない作品です。
正確なのかと思うと、それだけでもないらしく。
明るいかと思うと、そうではない一面が浮かび上がり。
書き手のやさしさに向かって、「いい加減にしたら」と云いそうになりながら、尊敬せずにはいられない、わたしです。
*
毎年、こんなふうに意地悪く除草しているのに、また季節が来ると芽吹くのは、一度土にこぼれた豆が何年でも生きているからなのか、目につかないところでしっかり花を咲かせ小さな豆をばら撒いているのか。いや、自分の作業精度が半分ほどしかできていないからに違いないとも思う。このくらいいい加減なのが良い加減。小春日和の日にまた草を抜こう、でも徹底的にやっつけようなどと思わないほうがいいねと自分に向かって念を押す。
ここなんか、すごいではありませんか。 ふ
ウクライナのお茶 古川 柊(フルカワ・ヒイラギ)
不意打ちだった。買ってきたばかりのお茶を淹れようと、茶葉の袋を手にした瞬間、その文字が目に飛びこんできた。
ウクライナ。
ロシアがウクライナに侵攻しはじめた今年2022年2月以降、その文字を目にしない日はない。テレビや新聞、あるいはパソコンやスマートフォンで。見るたび苦しく、心穏やかではいられなくなるものの、画面や紙面越しに見るもの聞くものには、どうしたって無意識のうちに距離を感じ取ってしまう。自分からは遠い場所で起こっていることとして。それが、お茶という、あまりにもありふれた日常のひとこまに登場したことは、小さな(いや、大きな?)驚きだった。
秋はいつだって指先からやってくる。
金木犀の香りがあたりに漂いはじめる頃、毎年手指の荒れが気になってくる。
ここ数年は、しもやけにも悩まされるので、本格的なシーズンに向けて早めの対策を、と考えていた。
そんな矢先、ネトルというハーブの存在を知った。和名「西洋イラクサ」。お茶として飲まれている。ビタミンを豊富に含み、浄血、造血作用があって、血液の見張り番ともいわれるらしい。早速、近所のハーブ専門店で買ってきたところ、パッケージに「原産地 ウクライナ」の文字を見つけたのだ。そう、わたしはたぶん、地図やメディアで見る以外、生まれてはじめてこの文字を目にしたのではあるまいか。
調べてみると、このネトル、原産は欧米で、現在では世界中に生息しているらしい。
とくに、ウクライナやロシアあたりでは道端に自生もしていて、とてもポピュラーなハーブティーなんだとか。
そして、ウクライナから日本に輸入されているものは、たばこや鉄鉱石が大半らしいから、ネトルはわたしにとって、一番身近なウクライナといえそうだ。
一杯のお茶を、だれにも邪魔されずに飲める場所があるのなら、それはささやかな場所で充分なのではないだろうか。それなのに、人はどうして、いつまでたっても、だれかの大切な場所を奪ってまでも欲しがるのかと、お茶は静かに問いかけてくる。
2022年11月11日
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
この結びには、苦心されたのではないでしょうか。
大切な主張、提言でありますが、さりげない書きぶりが、沁みます。
切り札とも云えるこんなフレーズは、興奮して書かないこと。いえ、興奮するのは仕方ないとして……、それを表に出さないように気をつけて、ことさら冷静になることをおすすめします。
「一杯のお茶を、だれにも邪魔されずに飲める場所があるのなら、それはささやかな場所で充分なのではないだろうか。それなのに、人はどうして、いつまでたっても、だれかの大切な場所を奪ってまでも欲しがるのかと、お茶は静かに問いかけてくる」
忘れないように手帖に書いておきます ふ
100字エッセイ いわはし土菜(イワハシ・トナ)
車で5分さきに、友人が越して行った。
同じマンションで、うちと同じ歳の息子さんがいて、ボーイスカウトで子も母もいっしょに勤(いそ)しんだ。
だから、気が置けない間柄だ。
たった5分だが、思いの外心もとない夏である。
「お鮨は唐津のあそこだね、いや横浜にも行きたいお店がある」
「中華も家では食べられないものを食べに新宿のあそこがいいね」
「焼肉やさんのタレで本格的な焼肉食べに行こう」
外食禁断症状の町田の片隅の寝言数々。
母の背におんぶされ、地元の商店街をいく。
雨が降っており、足にしずくがあたるを気にする記憶あり。
その日は、保育園で熱が出ての途中帰宅らしい。
熱が出たトナちゃんはバナナを買ってもらった。
これが私の原風景。
2022年10月23日
*****
100字エッセイ 守宮けい(ヤモリ・ケイ)
久しぶりに表参道まででかけた。今日の日ざしは秋の気配をうばい、
道ゆく人はまだ夏だと錯覚する。
女はノースリーブ、男は短パン。陽炎はゆうらり。
ショーウィンドウに目をやると、ひっそりと深まる秋がいた。
隣の人が席を立ったとき、思わず二度見したの。
だって行きの電車でも見たのよ、淡いピンク色を。
変わったデザインのブラウスだったから覚えてた。
帰りも同じ電車で、しかも同じ車両になる?
これって奇跡だよね。
2022年10月5日
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〈山本ふみこからひとこと〉
今回は「100字エッセイ」の発表です。
おたのしみください。
100字世界は、思いのほか深くて、広いことがおわかりいただけたでしょうか。ここには、書くことはもちろん、あらゆるものを創作のヒントが隠れているような気もするのです。
100字の文章世界を構築しながら、自分の意識下の「無意識」(=潜在意識)の領域をさぐると……、いろいろなものがみつかります。そこには悲観的な感情も隠れていますが、忘れかけていた創作を育むタネも存在しているはずです。
たとえばいわはし土菜は、「5分」という時間の意味に向き合い、たとえば守宮けいは、「奇跡」の日常性に到達する。
皆さんも、いま一度「100字世界」をゆっくり旅してみてくださいまし。 ふ
豚のいる家 ほんまゆり
あきちゃんの顔をみた瞬間泣けて泣けて、私はどうしちゃったんだろうと思う。
あきちゃんは3人姉妹の真ん中、上になおちゃん、下にえっちゃんがいる。あきちゃんは私より2歳年上、母方の従姉妹である。姉妹のいない私は、小さい頃この従姉妹たちに混ぜてもらってよく遊んだ。特にあきちゃんは、ちょっと上のお姉さんで気が合い、大学生になる頃まで勉強や進路、将来の夢など夜を徹してよく語り合った仲なのだ。
私が泊まりたいと言い出したのか、母が預かってほしいと頼んだのかわからないが、幼いころ毎年夏休みになるとお盆のお参りへ行くついでに、私だけ母の実家に一週間ほど滞在していた。気が済むまでそこにいて、帰ろうとなったら伯母が連絡して母が迎えに来てくれるのだった。
母の実家は田舎の農家で、私の実家から片道2車線の大きな国道を30分ほど北に進み、その国道から県道を左に入って、さらにその県道から左に曲がった両側に畑が広がる細い砂利道をしばらく行ったところにある。今となれば同じ市内で近いところだとわかるのだが、当時は久しぶりに従姉妹たちと会えるワクワク感で、私はちょっとした旅行気分だった。
国道から県道に入ってすぐのところに第六天神社という小さな神社があって、行きも帰りもその前を通るときは一時停止して車の中から頭を下げて挨拶をしてから行く。毎回律儀に車を停止して頭を下げるなんて、なかなか心がこもっていたと思う。いよいよ母の田舎へ戻ってきた目印の場所だ。
敷地に入ってからは砂利道を行く。両側広々と広がった畑で、真っ直ぐ進んだ行き止まりに広い庭と家がある。家の裏にはみんなが「山」と呼んでいる防風林のような鬱蒼とした森があって、危ないから一人で行ってはいけないと言われていた。広い庭には農機具や軽トラが停まっている納屋や物置、蔵、鶏小屋や豚小屋まであって、従姉妹たちのいる母の実家は子どもにとってパラダイスだった。
豚のいる家なんてその当時でも珍しかったと思う。
その豚は巨大で、3mくらいの大きさだった印象なのだが、それは私が小さかったからで、今考えれば豚がそんなに大きいわけがない。豚はちょっとおそろしくて、犬や猫のように頭をなでたりはできないのだが、着くと必ず最初に見にいった。おばあちゃんちには豚がいる、というのが子ども心に自慢の種だった。ずいぶん大きくなってから、私が従姉妹たちに豚がいた話をすると、そういえばいたねぇくらいの薄い反応で、えっ?そんなもの?と印象の違いに驚く。
そうやって納屋だの豚小屋だの、畑だの、虫や植物、木や石ころなど、なんでも見て触って、走って歩いて疲れたら地面に絵を描いて、子どもたちだけで1日中遊んだ。母の実家で従姉妹たちと過ごす夏休みは本当に楽しかった。
当たり前のことだがライフステージが変われば人づきあいも変わってくる。幼少期、姉妹のように過ごした従姉妹たちだが、それぞれ学生になりそして就職してからは会う機会が激減した。私は遅かったが適齢期で結婚した従姉妹たちは、早々と家を出て新しい家庭を持ち、祖母のお参りに行っても跡をとった長姉のなおちゃん以外はもう家にいなくなってしまった。会いたいなぁとたまに思い出すことはあっても、従姉妹とは特に外で待ち合わせて会うことまではせず、ただ会う機会がなかったというだけでどんどん離れてしまった。
その従姉妹たちと先日何十年かぶりに伯父の告別式で再会した。穏やかで人のよい伯父、3年前に認知症が進んで施設に入り、それからこのコロナ禍で、なかなか従姉妹たちも伯父(彼女たちの父)に会えないという話を私は母から聞いていたのだが、その伯父が亡くなったのだ。
お棺に横たわる伯父の顔を見てさよならを伝えた時の涙を超えていた。
何十年かぶりにあきちゃんの顔をみた瞬間泣けて泣けて、私はどうしちゃったんだろうと思う。
私はずっとずっとあきちゃんに会いたかったのだ。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
わけもなく泣けて泣けて……という心情、わかります。
何かの拍子に堰きとめられていた記憶が、これまた何かの拍子に解放されるときの勢いというのは、すごい。
そんなことをあらためて確かめる思いがしました。
下記の豊かなフレーズが、そこかしこに散りばめられていますね。
・私はどうしちゃったんだろう……
・気が済むまでそこにいて、
・ただ会う機会がなかったというだけでどんどん離れてしまった。
・私はずっとずっとあきちゃんに会いたかったのだ。
こんな表現を懐に抱きしめ、読者は共感を募らせてゆくのです。ふ
2022年10月の公開作品
ダーチャ 寺井融(テライ・トオル)
まだポーランドが共産主義の時代(1981年初秋)のことである。
ワルシャワで2泊だけ、30代前半の若夫婦と、60代後半のご両親の二世帯が同居している家にホームステイをした。郊外の3LDKの公団住宅風。訪問先が何階であったかは忘れた。エレベーターはなく、階段をあがったことだけは覚えている。
まず、一家4人による歓迎の宴。
一番年長のお父さんから「遠くからよくいらっしゃいました。と言っても、日本とポーランドは隣の国かもしれませんね」。
――そのような挨拶であったはず。当方の英語力では、そう解釈するしかなかった。
「お互いの国の間には、深い森があり、獰猛な羆が住んでおりますが……」
その一言に、ぼくも思わずほほ笑んだ。それで「アイ、シー」と相槌を打つ。
大奥様に手作りのポーランド料理が振舞われ、「ビールは飲んでいるの」と訊かれる。
「エブリデイー」
と答えると、
「ホーウ」と声があがった。
娘さんから「明日、私たち、ダーチャ(農園つき別荘)を買うため、展示場に見に行くのよ。一緒に行かない?」とお誘いがかかる。
「行ったらいいさ。日本へのお土産も買ったらいいね。――それで何を買う?」
お父さんにも問われ、「ドール(人形)」と答えたつもり。
ところが、ドア(扉)を指さされる。「ドール」が「ドア」だ。当方の帰宅を待っている母や妻へ、民族人形でも買いたいと思っていたのだが……。
翌日、フィアット(イタリア車)に似た小型国民車に同乗する。ロシアなどで、都会の人が自然豊かな田舎にちょい住みする家、ダーチャ見学に向かう。きっと日本の住宅展示場みたいな広い青空会場なんだろうな。――そんな想像をしていたものの、実際は屋内。それも、車の販売店みたいなスペースであった。
そこにバンガローみたいな小屋が、数軒並んでいる。ポーランドのダーチャである。テント生活よりましだろうけど、これで別荘かと思わぬでもなかった。
でも、若夫婦はパンフ片手に念入りに物色している。郊外の森にそれを建て、週末になったら水入らずの生活を楽しむ算段であろう。うらやましく感じた。
気にいった人形は見つからず、ほかで探すことにした。
結局、その東欧旅行では、チェコでも土産を買わず、30 年後のプラハ再訪の際、ワイングラスを求めてきている。
ワルシャワにも、再び訪れなければなるまい。
ホームステイ先にも、行ってみたいな。しかし、たぶん父君への再会は、かなわないであろう。ご存命なら100歳を超えている(?)し……。
(2022年9月29日)
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
旅先で出会ったひとたち。おいしいもの。めぐりあわせの会話など。
「寺井融」の手にかかって描かれると、ほら、わくわくしませんか?
わたしはわくわくします。
ご本人はもしかしたら「自分は戦後史、ことに昭和の政治史」を描くのが使命、それこそがわがテーマである、と考えておられるかもしれません。
政治の舞台を支えてこられたのだし、新聞記者として活躍されてこられたのですもの。それは確かな、書き手のテーマだと思います(これまで読み手として、どれほど学ばせていただいたことでしょう)。
しかし、それは「寺井融」のテーマの一部分に過ぎません。描かれるのを待っていることごとが、まだまだたくさん隠れているのではないでしょうか。
ここからは皆さんへ。
皆さんの自己評価が驚くほど低いことに、驚かされることがあります。
自身の経験、性質が生み出だした「制限」が心理の表層を覆っているからそうなるのかもしれません。
ご自分が描く世界を「これ」と決めつけず、書いてみていただきたいと思います。いまだ出会えずにいる「あなた」と出会えるはずです、きっと。ふ
どじょうとうなぎ コヤマホーモリ
記憶力がよくないことを少しだけ気にしている。
家族にも指摘される。一緒に出かけた場所、経験したことを忘れていることがあり、
「えー!覚えてないの?」
と軽い驚きをもって言われるこの言葉に、いつも傷つく。話しているうちにその輪郭が見えてくることもあるので、記憶を引き出す瞬発力が弱いだけ、と強がっているのだが……。
先日ひょんなことから、高校時代の同級生でもある夫婦2組で、どじょうを食べる機会を得た。店のテーブルにつくなり、
「高校の時の修学旅行先のお昼で、柳川鍋を食べたよね。広いお座敷で。それ以来よ。」
と私が口火を切ると、向かいに座ったMちゃんが、
「私は錦糸卵がぱらぱらっと下に敷いてあったうなぎを食べたと思うけど?」
と細かい描写つきで返すではないか。
え?うなぎ?どじょうではなくて? 思いもよらぬ返答に、自分の記憶を疑いはじめる私。そして、Mちゃんの夫Sくんが、
「まったく覚えてないなあ。」
と天を仰ぎ、私の夫が
「柳川鍋ね、食べた食べた!」
と相槌を打った。
夫は私が何度か話題にしたことが刷り込まれているだけで、本当に覚えていたのかは怪しい。真実が気になりながらもその日、私は30何年ぶりであろうどじょう料理をすべておいしくいただいた。
後日、別の同級生に聞いてみると、
「Kちゃん(私)が合っています! そして確か、柳川鍋となにかとで選べたのよ。」
と、心強い回答と新情報がもたらされた。
私は認知症テストをぎりぎりパスした受診者の気持ちだ。選べたもうひとつがうなぎであったのかはいまだ不明だが、高校生の私は、小鍋にぐるぐると並べられた初どじょうの形状と小骨の食感に閉口し、残してしまったことを記憶していた。
どうでもいいことは忘れるものだろうが、忘れたくないことも忘れる私。私の脳はどんな取捨選択をしているのだろう。持って生まれた記憶メモリーが極小なのか、どうして忘れるのかと時々さみしく思う。
が、そもそも記憶というものは曖昧で、いいように上書き保存していることに気づかされることもある。誰かの思い出は私のそれではないし、視点が違えば、抱く思い出も別の味。同じ時間軸の中にいた同級生も記憶していることはまちまちだ。忘れてしまうことがある、鮮明に覚えていることもある。あの日、うなぎも供されていたのかもしれないと想像すると、可笑しくてならない。ただ10年後には、「どじょうとうなぎの両方を食べたよね!」なんて真顔で言ってそうな自分の記憶力が心配である。
2022年9月21日
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
その昔、記憶に関する本の編集をしたことがあり、そのときのことを思いだしました。
記銘 → 経験を覚えこみ、定着させる。
保存 → 覚えこんだときの状態を保てながらとっておく。
想起 → 保存した記憶をとり出す(思い起こす)。
という3つから「記憶」は成り立っていて、長ずるに及んでどの力も弱まってゆくけれど、なかでも「想起」がもっともむずかしくなってゆく。ということを学びました。
だけどさ……、と20歳代中盤だった当時のわたしは思いました。
いまでもわたしは記銘も、保存も、想起もてんでだめだから、年をとっても記憶力が衰えたなんて、悩むことはないだろうな、と。
そうしてほんとにそうだったのです。
まわりが「固有名詞が思いだせない」「自分がここに、何をしにきたのか忘れていることがある」と嘆いても、わたしは20歳のときからダメだったからなあと、思っています。
ひとには「覚えている」ことを尊び、「忘れる」ほうに価値を見出さない傾向がありますね。忘れる大切さも噛み締めたいと考えながら生きていたいな、とわたしは考えています。
「どじょうとうなぎ」は、いろんなことを思わせてくれました。
後半の「が、そもそも記憶というものは曖昧で」のあと、ことにいいなあと、感心しています。こんなふうに、どじょうやらうなぎやらの思い出の合間に、著者の考察、著者の思想がさりげなく置かれることが、随筆には必要です。どさっと置くのでなく、さりげなくね。
ところでわたしは、年2回、必ず駒形どじょうの「どじょう鍋」を食べることにしています。11月に浅草に出かけようと思います。 ふ
ぐるぐる・ゴロゴロ・ぽたぽた はるの麻子 (ハルノ・アサコ)
ある日の午後です。
台所で腰かけてバターを混ぜていました。ひさしぶりに会う友人へクッキーを作ろうと思いついたからです。
ぐるぐる、ぐるぐる。バターの色が白っぽく変わり、やわらかなクリーム状になったら、グラニュー糖をすこしずつ加えながらもっと混ぜます。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ふんわりしてきたら、小麦粉を入れてゴムベラで切るように混ぜていきます。粉っぽさがなくなったら、手でまとめて直径3㎝くらいの棒状にして冷凍庫に30分入れておきます。
とつぜん雷がゴロゴロと鳴りはじめました。2、3分まえに2階に住むB子(息子の妻)と孫たちが自転車で出かけた気配がしたけれど、雷の音をきいてひき返してくるかしら。
中学生のとき自転車通学していたわたしは、大雨のなかを帰宅する日もありました。急な雨にそなえて、ビニールの雨がっぱ(白く半透明で小さくたためる携帯用のもの)をいつも持っていました。
ある大雨の日、友人と雨がっぱ姿で坂道を上っていると、「わーい。空気デブ! 空気デブが出たー」という声とともに同級生の男子が追いぬいていきます。この雨がっぱはスピードを出すほど空気が入りこんでふくらむのです。
雨だけでなく雷に遭う日もありました。そのころは通学路の3分の1は畑のなかの道でした。そんな場所でゴロゴロと聞こえてきたら、大急ぎで納屋や物置の軒先を探し、そこで雷が遠ざかるのをじっと待つのです。友人と一緒だったから、おしゃべりが楽しくて心細くはありませんでした。
そろそろいいかしら……。
冷凍庫から棒状のかたまりを取りだして1㎝厚さに切り、オーブンにいれて、180度で15分にセットします。
しばらくするとクッキーの焼ける匂いがしてきました。相変わらず稲光と激しい雷雨が続いていて、B子たちのもどる気配はありません。雷が止んで雨が小降りになればいいのに、と祈るような思いで何度も窓をあけては外をながめました。
あたりが薄暗くなりかけたころ、孫たちの声が聞こえてきました。台所の窓をあけると、みんな洋服からも髪の毛からもしずくがぽたぽた垂れるほどびしょぬれです。
「おかえりなさい。焼きたてのクッキーがあるからね!」
2022年9月27日
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
見事な構成です。
皆さんの作品を見せていただくとき、たとえば、この結びを書き出しにしたらどうだろうか、とか、種明かしをさいごにする構成にしたらどうなるか、とか、いろいろの可能性を考えます。
出来事の頭から順序にしたがって書いたり話したりする癖を、ひとは持っています。
……こんな経験はありませんか?
ひとのはなしを聞いていて、経過よりも着地点が知りたくて気が揉めるようなこと。はなしの腰を折って、「で、結局どうなったの?」なんて云ってしまうことがわたしにはあります。
これは文章を書くとき、結果を先に書きましょう、というはなしではありません。書くときも話すときも、どこから書きはじめたら、話しはじめたら、より(魅力的気に)伝わるだろうかを考えることが大切だと、云いたいのです。
はるの麻子の「ぐるぐる・ゴロゴロ・ぽたぽた」は、午後のクッキーづくり→ 雨が降ってきたのに気づいて、出かけていった家族を思う場面からはじまります。
つぎに中学時代の思い出があらわれます。これが挿入されたことで、読者は冷凍庫に入ったクッキーのたねが、出てくるまでの30分間を待つ。そんな気持ちになりますね。
→ クッキーのたねを切ってオーブンへ →そろそろ焼きあがる →家族が雨に濡れて、帰ってくる。
どこの場面が抜けても、読者の気持ちは満たされないことでしょう。安心して結びのやさしいことばに酔うことができました。 ふ
とっぴんからりん すっからりん 谷澤美雪(タニザワ・ミユキ)
孫は6歳、小学1年生になりました。
「両手をひざの上においてね、自分の番をドキドキしながら待っていたんだよ。みんなの前で自己紹介したの」
「『◯◯◯◯きこです。好きなあそびは鬼ごっこです。よろしくお願いします』って。すごく緊張したよ」
そう話をしてくれたのは春の日のことでした。
9月になりました。
午後3時近くになると、元気な声で「ただいま」と帰って来ます。いつもいつも汗だくです。
「暑かったね。おかえり」
と、バーバは毎日迎えます。
おやつには決まってアイスを食べます。
食べ終わると「よし! やるか」「今日もいい天気だ」と声を上げ、縁側のまん中あたりに小さなちゃぶ台を自分で運んで来ます。
ランドセルを横に置いて、宿題をはじめます。
縁側のこの位置からは大空が眺められて、雲の流れが見えます。とても気持ちがいいんです。バーバは少し離れて見守っています。
こくごの本を開き、「読みます」と言って1行1行の文章をひとさし指で追いながら声を出して読んで行きます。
となりのじいさまは、おかしなうたにわらいをこらえていたが、
おもわず へをこいた。
ぷぷぷぷ、ぶう
「今日ね、みんなの前で『さるじぞう』のここを読んだら、みんなが大笑いしたんだよ。先生が、気持ちをこめて読みましょうって言うから、おならにも気持ちをこめて読んだのに」
笑われたことがいやだった様子。
「みんなが笑えたのはとても上手に読めたからだよ」
と、バーバはたたえました。
毎日、縁側から音読が聞こえて来ます。
すてきな言葉に沢山出会う喜び。こくごの勉強を孫と共有させてもらえる楽しさを味わっています。
きょうも物語の最後はお気に入りの言葉で終わります。2人そろって、空に向かって言います。
「とっぴんからりん すっからりん」
*「さるじぞう」
しょうがっこう こくご1ねん上 教科書より
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
縁側の雰囲気を、わたしもたっぷり味わいました。
きこさん、バーバさん、どうもありがとうございました
わたしの知っている「さるじぞう」にはおならの場面がなかったのですが、いろいろ読んでみて、おならver.をみつけました。
うふふふ、おなら、よかったです。
さてところで。
作者より、「さるじぞう」からの引用をどのようにしたらよいかという、質問がありました。
本文(ほんもん)に引用をする場合は、2字下に落として記すとよいでしょう。スペースがない場合は、「 」に入れて詰めて記すこともできます。
詩を引用するとき、1行ずつ/で、つないで紹介する方法をご覧になったことがあるでしょう? 詩は1行が短く、スペースをたくさん使いますからね。
詩ばかりでなく、どんな文章もこれが1行であるということを、あらわさないといけません。
行換えも、「、」「。」はじめいろいろの記号も、大事な大事な表現であるからです。
そうそう、「 」の会話のなかに、さらに会話を混ぜる場合は『 』を使います。「とっぴんからりん すっからりん」のなかの、ここ(下記)がそうです。
「『◯◯◯◯きこです。好きなあそびは鬼ごっこです。よろしくお願いします』って。すごく緊張したよ」
基本的なことですけれど、ここを押さえると文章は書きやすくなります。
基本を押さえつつも、書き手が決めることも、あるのです。漢字にするかひらがなにするかを決めてしまう……なんていうのも、そのうちです。
たとえば「私」と書くか、「わたし」と書くか。
「たとえば」だってそうです。「例えば」と書きたければそうしていいし、決めてしまうと気持ちが楽になります。
「とっぴんからりん すっからりん」をお読みになった皆さん、皆さんの作品も、きっときっと音読してくださいね。
こころのなかで音読しながら書く。
書き上げたら音読する。 →手直し。
ひと晩寝かせて、翌朝もう一度音読。 →少し手直し。
そうして作品を旅立たせるのです。 ふ
2022年9月の公開作品
「 」の世界 山本ふみこ より
皆さん、こんにちは。
毎週「ふみ虫舎エッセイ講座」の会員の皆さんの作品をひとつ選んで、毎週火曜日に発表しています。
2020年4月から、先週までのあいだに125作品。たいてい5作品ほど、発表作品が待機していたのですが、気がつくと今週は1作品もないのです。
「あらま」
とあわてました。
あわてていないで、分析してみることにしました。
皆さんと共有したい作品を、わたしが選んで発表してきました。
それがひとつも溜まっていないというのは、おそらく……、皆さんの進化をあらわすものです。ひとは変化し、進化するとき、表しがたい「壁」のようなものに打(ぶ)ちあたります。「壁」は乗り越えても、壊しても、扉のようなものをつけてもいいわけですが、ともかく通過して進まなければなりません。
「壁」もいろいろです。
・エッセイ、随筆の構成。
・表現方法。
・アクセントのつけ方。
・魅力的な書き出し、結び。
「壁」のようなものを目の前にしておられるあなたに、提案いたします。
文章に会話をたくさん挿入する、あるいは会話だけで成立させる手法です。後者にはト書きのようなものをはさむとよいでしょう。
「 」の世界を散策することによって、あたらしい何かをつかむことができるのではないでしょうか。
文章のなかの会話は、実際よりもていねいに構築することをおすすめします。ふだん交わされる会話とちがって、流れ去らずにそこにとどまりますからね。
作品をお待ちしています。
9月27日 山本ふみこ
真夜中の鏡 守宮けい(ヤモリ・ケイ)
村上春樹の短編集『めくらやなぎと眠る女』を読んでいる。その中の、ホラー的要素を含んだ「鏡」を読み終わって思い出したことがある。
わたしは若いころ、とくに高校時代、つねに鏡をのぞいていた。かたときも鏡を手離さなかった。友人は、
「いつもハナウタを口ずさみながら鏡をみている。あなたはナルシストね」
と言った。
10代20代の女の子は程度の差こそあれ、みなナルシストだし、そのことを隠さない。世代によって癖や解釈の偏りがあるにせよ、人は男女を問わずみんなナルシストでしょう。とわたしは思っている。
ナルシストの考察はさておき。
この時期、どうしてわたしはいつも鏡をのぞいていたのだろう。そして、なぜ周りの友人はわたしほど鏡をみていなかったのだろう、と考えた。
少なくともわたしは、自分を知り、受け入れるために鏡を見ていた。
くりくりとした大きな目でもなく、愛らしい丸顔でもなく、形の良い唇でもない。
「怒ったときの、目の吊り上がりようをごらんなさい」
「えらそうに。いつもアゴを上げていますよ」
「悔しいときの口のひん曲がりに注意!」
毎日毎日そう教えてくれる鏡の、正直で誠実で辛辣な忠告に心酔し、のめり込んでいった。それは深く依存した状態で、周囲を気にする意識はひとかけらもなく、鏡のもつ強い中毒性に絡めとられていた。そしておそらくだが、鏡の方でもわたしに強く依存し、執着していたのだと思う。
数年前から鏡の、ある奇妙なふるまいに気がついた。それは、鏡は身びいきするってこと。
駅のトイレやデパートの試着室に映る自分より、家の鏡に映る自分の、なんとキレイで可愛いいことか。
(それは吉田羊や井川遥が鏡に映る、ということではありませんよ)
目がぱっちりしている。肌のトーンが一段明るい。ヘアスタイルがまとまっているように見えるetc。それも一つの鏡だけではない。家中の鏡がみなそうなのだ。わたしって過保護に育てられてる?
そうすると、シンデレラの継母の魔法の鏡のくだりは、部分的にでも真実の物語なんだろう。
同じ被写体を長く映しているうちに「被写体に愛情をもち、被写体を甘やかす習性」が鏡には、ある。
鏡の愛情がそのうち愛着になり、それが執着に変わらないよう、用心にこしたことはない。
かたときも離さず鏡をみていたころでも、真夜中はべつだった。
短編「鏡」のように、鏡に映る自分が自分と違う動きをしないよう、夜、とくに真夜中は鏡は見ないほうがいい。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
おもしろいなあ、と思います。
鏡って、ほんとうに不思議です。
これほど物語を持つ道具もないかもしれませんね。
そこに気がつくだけでも、驚きですが、執着する鏡、身びいきする鏡まで登場して、どきどきしました。
この秋は「真夜中の鏡」にならって、想像する、観察する季節を、物語をつくる時間を旅したいなあと思います。……皆さんも、どうか。 ふ
塩が足りない 日日さらこ(ニチニチ・サラコ)
こんなに甘くしたのは誰だ。
と、嘆いていた。いや、怒っていたと言ってもいい。
とうもろこしの話である。
とうもろこしがどんどん甘くなる。フルーツを超えた甘さを売り物にしているものもあり、その糖度をどれだけ上げられるか競っているふしさえある。とうもろこしはスイーツじゃないのに。断じて、ないのに。
大好きだったのにあまり口にしなくなってきたとうもろこし。
そんなある日、友人が畑で採れたというとうもろこしを送ってくれた。
「塩入りのお湯で茹で、そのまま鍋の中で一晩おくといいですよ」
と、いうことばと一緒に。
北海道で生まれ育ったこともあり、わたしにとってとうもろこしは、夏のおやつであり、時にはおひるごはんでもあった。
1学期の最後の給食には、茹でたとうもろこしが出た。ああ、これから夏休みが始まるといううれしさと共に待ち焦がれた味だった。夏休み中は毎日のように食べた。何本でも食べられた。採れたてのとうもろこしを茹でて売っている店がそこかしこにあり、よくお使いに行った。どういうわけか、家で茹でるより、茹でて売られているものの方が、何倍もおいしかった。塩味がきいて、とうもろこしの味が濃いような気がした。
そのわけを知ったのは大人になってからだろうか。よく買いに行ったお店の人が教えてくれた。
「採れた瞬間から味が落ちていくから、とにかくすぐ茹でる。そして、茹でたあと、茹で汁にそのままつけておくんだよ。その茹で汁も毎日、お湯を足して使い続けているから、どんどんおいしくなるのさ」
秘伝のゆで汁だったのか。素朴な味の昔のとうもろこし。塩をきかせ、茹で汁につけておくことで、流れ出たうまみを丸ごとまた取り戻す。
味の劣化を補うためにどんどん糖度を上げていったのだろう。今はもう、北海道に帰省しても、昔のとうもろこしは、街中では手に入らない。幻の味になりつつある。
けれど。と、友人が送ってくれたとうもろこしを頬張りながら思う。
甘さを嘆く一方で、いつのまにか塩を敬遠していたのではないか。こうやって、塩味をきかせて、茹で汁にひたしてと、忘れていたことを思い出したら、 今どきのとうもろこしももっとおいしく食べられるのでは。
うんうん。あっという間に1本食べ終わり、2本目に手が伸びる。夏休みの子どもだったころのように。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
わたしも北海道の友人から「塩の効いた茹で汁にひと晩、とうもろこしを浸しておくこと」とおそわりました。
だけど、わたしには思いもよりませんでした。そのことを、こんなふうに描くなんてこと。
「日日さらこ」のすごいところは、表現力もさることながら、筋道の立て方です。自らの考えをしっかり組み立ててから、書く。というか、そうやって生きているのでしょうね。
人まねでも受売りでもなく、評論でもなく、実際に経験したこと、見たことを展開させながら、見方、受けとめ方を見せるのです。押しつけがましいところがないのも……、かなわないなあ、と思います。
自分が、目の前のこのことを、どう見ているか、どう受けとめているか、どう考えるか、確かめることは大切です。たとえ、目の前に咲く野菊のことを書くにしても。 ふ
どっこらしょ いわはし土菜(イワハシ・トナ)
ヨガ教室に通って1年が経つ。
水泳で冷やしたからだの血流を元にもどす工程が必要ということで、スイミングクラブには、どこもヨガ教室が併設されている。
これまで気にもならなかった「血流」。
歳に気づかされたというか、そこには、等しく「血流」に辿りついたお馴染みの同年代の顔が勢ぞろい。
教えてくださる先生はまだ若く、小学生を筆頭に三人の子どものお母さんである。
呼吸や姿勢の本来あるべき形を1時間で教わる。
他の場所で80代講師のヨガを体験した友人にいわせると、
「先生、若いから同じヨガでも、これはハードなほうだよ」と。
静かな動きながら、たしかに、毎度、筋肉痛は免れない。
インナーマッスルの筋肉痛は、なってみたものにしか分からない。
表層はではなく、内臓の奥の筋肉痛。
自宅マンションの階段を恐るおそる降りていると、
「どうしたの?骨折?」と聞かれ、苦笑い。
ところがこの骨折と見まごう運動が、私のからだに好影響だということが、だんだん見えてきた。
膝が痛くなくなり、冷えがどこかへ消え去り、夏場のスパッツもいらなくなった。
「血流」の持つ意味に気づけてよかった。
ヨガ体験前の痛みを10だとすれば、いまは、1から2程度。
しかし、からだは正直だ。
そもそも背筋を伸ばし座禅を組む姿勢が厳しいものだ。
また、一気につぎの姿勢に移れないなど、体形を変えるたび、「どっこらしょ」が思わず口を突いてでる。
わたしだけではないのはうれしいが、日頃の怠惰な姿勢がそこかしこに染みついていることをあらためて思い知る。
精神的には、はたちの頃と大して変わらないはずなのだが、からだのほうは、ずいぶん遠くへと来てしまった……。
血流を良くするためとは言え、鏡にかこまれた部屋で、毎度見なければならぬ己のすがたは言わずもがな……。
そうは思っても、帰宅し、連れ合いに話すと、
「いくつだと思ってるの? どっこらしょで出来るなら、ジョートーだよ」
2022年7月
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
わたしも同感です。
「どっこらしょ」でできるなら、ジョートーだよ。
近年の不自由な状況のなかにあっても、人知れず自らを鍛えてきた友人はあって、ここのところ感心させられる場面がいくつかあったのです。
「いわはし土菜」もそのひとりです。
しかも彼女のひとはさりげなく、ユーモアたっぷりに鍛えて見せてくれましたから、ぐっとこころをつかまれました。刺激を受けました。
さてところで、文章世界にも「鍛える」は存在します。
それはまずはことばへの注意からはじまります。ことばに目を凝らし、耳を敧(そばだて)るのです。
つぎはとにかく書くこと。
新聞、雑誌、本、てがみを読みながら、目の前で起きた事ごとをとらえながら感じたことを、書く心持ちで組み立てることです。そこには口先でちょっと云う、のとは異なる次元の何かが生まれます。実際に書かないまでも、書くつもりで脳内に刻みましょう。
エッセイ、随筆はもちろんのこと、日常的な伝言文、便り、書き置きも丹念に書きたいと思わされるきょうこのごろです。 ふ
2022年8月の公開作品
ランドセルと机と 鷹森ルー(タカモリ・ルー)
娘が幼稚園の頃、お金が大ピンチでした。
ある日、実家からランドセルを買うようにと3万円が送られてきました。これ幸いとニトリで1番安い8900円のランドセルを買い、残りを生活費に充てました。そのランドセルを娘はうれしそうに背負って6年間小学校に通いました。
デパートで高価なランドセルを祖父母に買ってもらうニュースをみるたび、毎年ドキッとします(調べてみたら今ランドセルの購入金額は平均6万円ぐらいするみたいで「ラン活」というそうです)。
学習机もありきたりのものを買うことはない!と思っていると、ある日、隣のおばあちゃんが家の前に、木の机を捨てようしている所に出くわしました。
「そ、それ頂いてもいいですか?」
と声をかけ、それをもらい受けました。
昔の勉強机だったので、すべて木でしっかり作られています。引き出しには時間が止まったまま、インディアン娘の「リンリンランラン」のポスターが入っていました。
夫が新聞紙の上に引き出しをひっくり返し磨き、薄い水色のペンキを塗りました。引き出しに取手はなかったけれど海をイメージして金色のヒトデの形の取手をつけました。
結局、娘は高校までリビングで勉強したので、机は宝物入れとランドセル置きになっていました。
社会人になった娘は上京し、役目を終えた机は、今リビングで観葉植物を置く台になり、引き出しにはツメ切りや耳かきを入っています(なぜか捨てることができなかったのです)。
あの赤いランドセルは、その後、東日本大震災の津波でランドセルをなくした子どものためにと……新聞に載っていた岩手の八幡神社に送りました。8900円だけれども大活躍です。6年間お役目を果たした上に、再び、誰かに背負われて小学校に通ったのです。
思い返してみると、贅沢したことはうっすらとしか記憶に残らず、お金がなかったピンチのときのことが強烈で、それがカタチを変えていい思い出になっていたりします。
たとえば、幼稚園のバザーで青いワンピースを買った時、娘は、それを両手でぎゅっーと胸に握りしめて、生まれてきてこんなうれしいことない!というような最高の笑顔で
「ママ‼ ありがとう!!」
と言った瞬間、「いやいや!こ、これは10円の服なのだ!!」と背中に汗をかきながら、心の中で叫んだことを今もはっきりと覚えています。
実は、私もその10円の青いワンピースが大好きで、今でも押し入れにとってあります。
困っているから心を動かして頑張る。そうすることで、気持ちがうんと入る。
それはとってもしあわせな時間だったのかもしれません。
娘にその話をすると、「あのランドセルで全然よかった、高いのを買わなくていいと私も思う」同感、と言っていました。
2022年6月
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
この作品を読んだとき、しびれました。
「ランドセルと机と」を書かせた思い出と、「鷹森ルー」の感性と力量に感謝しました。
これを書くきっかけは何であったのか。どのくらい時間をかけて書いたのか。「ピンチのときのことが強烈」という思い方を、どこで自分のものにしたのか。
いつか作家にインタビューしてみたい、と思います。
作家の思い方、ことの受けとめ方、ものの見方は、作品にあらわれます。うまく書こうなんてことじゃなく……、まずは人間力を鍛えることですね。
と、わたしも自らに云い聞かせています。 ふ
赤みそ 原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)
コロナの蔓延に伴い、外での飲食が制限されたこともあって、O君の家で飲み会を開くことになった。
O君は大阪出身。東京に住んで30年近く経つが、関西弁を頑なに守っている。
集まるのは東京出身のT君と愛知出身の自分。東海道の東・名・阪の飲み助がそろうことになった。
約束の当日、O君の家に伺うと、すき焼きの準備がしてあった。O君が鍋奉行となり、とり仕切る。
まず、コンロにスイッチを入れる。鉄鍋を熱する。最初の投入は牛脂。鉄鍋の底に牛脂を擦りつけながら溶かしてゆく。
脂が全面にいきわたったところで、特別に入手した松阪牛を投入。つやつやした霜降りの赤身を拡げて焼く。砂糖を肉にまんべんなく振りかける。醤油をかける。日本酒も垂らして味付け。
T「割り下を入れないの」
O「割り下? すき焼きのたれのことやろ。そんなもん、こうやってていねいに味付けしていくから、いらへんで」
T「割り下を入れないと、味付けが心配」
O「まかせといて。すき焼きは焼くもんや。たれや汁で煮る牛鍋とは違うんや」
次に、鍋奉行は野菜を投入。
玉ねぎ、えのきだけ、しいたけ、しらたき、豆腐などの具材を順に入れる。
T「おい、玉ねぎを使うのか。長ねぎじゃあないの」
O「大阪のすき焼きは玉ねぎに決まっとるよ。玉ねぎの甘味が出て、味がマイルドになるんや」
いよいよ出来上がり。具材の汁が出て、鍋はつゆだくになった。
茶碗に生卵を溶き、3人でほおばる。
肉はがっちり濃い目の高級肉の味。一方、玉ねぎなどの汁が出て甘味が加わる。
たしかに味がマイルド、マイルド。
冷酒に合う。うまい!
T「どうなるかと思ったけれど、これはうまい。全体として調和している」
O「大阪はマイルドな味が好きやねん。東京はシャープな濃い味が好きやし」
T「大阪の醤油はうすいよ」
O「東京は濃すぎるのとちゃう。かけそばのつゆなんか、真っ黒で麺が見えへん」
T「ところで、愛知のすき焼きはどうなんだ」
自分「作り方は大阪流かな。それでも玉ねぎは入れない。東京のように長ねぎを使う。東京・大阪混合流だよ」
愛知は、東京と大阪にはさまれている。
すべての分野で、両方から強烈な影響を受けてきた。
料理は関東風も、関西風もある。関東風のそば屋もあるし、関西風のうどん屋も軒を並べる。しかも、そば屋とうどん屋のメニューには、名古屋独自のきしめんまで用意している。まさに東名阪混合流。
愛知で育つと、大学は関東へ行く人も、関西へ行く人もいる。もちろん地元の大学も行くので、東名阪に分かれることになる。
名古屋の大須演芸場では、東京の落語も、大阪の漫才も舞台で競って演じる。
愛知には東京と大阪から文化様式を取り入れて来た歴史がある。
そんな中で、愛知が愛知らしさを頑なに守っているものがある。
赤みそ。
子どものころから赤みそで育った自分は、てっきり日本中に赤みそが普及していると思い込んでいた。18才で上京して初めて現実を知った。
赤みそのみそ汁は愛知でしか食べられていない。
もともと、岡崎出身の徳川家康がこよなく愛した。だから、家康が江戸に幕府を開いたとき、わざわざ赤みそを岡崎から取り寄せて江戸屋敷にふるまった。家康のもと、三河藩・尾張藩が江戸に赤みそを広めたようとした。しかし、何故か広まらなかった。
愛知では今でも、赤みそを頑なに守っている。
みそ汁だけでない。赤みそのみそおでん。みそカツ。みそ煮込みうどん。
全国の皆さん、赤みそはうまいよ!
2022年7月
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
文化圏の有りようを、たのしく胸に納めることができました。
たのしい読書にひとときを、どうもありがとうございました。
その昔父が愛知県(住んだのは名古屋市昭和区桜山町)大阪府(住んだのは兵庫県西宮市甲子園口)とに単身赴任し、小学生時代長い休みには兵庫県と愛知県で過ごしたため、わたしにとって両県はこころの故郷ともいえるでしょう。
愛知の赤みそも、大好きです。
味噌煮こみうどん。味噌カツ。味噌おでん。どて煮。
あの味噌の味わいは、愛知ならではだと思います。
ところで、赤みそは、全国的には赤っぽく、色の濃い味噌の総称です。しかし、「原田陽一」描く赤みそは、それとはまったく異なります。分類としては愛知特有の豆みそ。原料は大豆、塩、水(コメは使わない)、大豆に麹(こうじ)をつけた「豆麹」でつくる味噌なのです。色は濃い赤のみ。愛知、岐阜、三重3県でつくられ、愛されてきた赤みそとのこと。
「八丁味噌」とはちがうのかなあ、と思ってものの本に当たったら、赤みそにはちがいないけれど、愛知県岡崎城にほど近い八丁村でつくられたのが起源だということがわかりました。
愛知の赤みそは、熟成期間が長いのが特徴なのですね。
思わず、いろいろ調べたくなったのは、作品の魅力に動かされてのこと。
そうして赤みそを求めて、旅をしたくなりました。 ふ
見色明心 siki (シキ)
私の旧姓には「色」という言葉が含まれている。その地域にしかない、独特の苗字だ。
「色」のもともとの意味を調べてみると、色彩(英語でいう「color」)ではなくて、色恋とか男女の交わりとか、色っぽいことばかり書いてある。そうなんだ……好奇心で調べてみるたびに、これまで何度もなんとなくがっかりしてきた。
でもある時、私にとって特別な意味に出会うことができた。
それは禅語の「見色明心」(しきをみてしんをあきらむ)という言葉である。その意味は、形あるものを見て悟りをひらく、ということらしい。
仏教において「色」というのは物質・物理現象のことで、五感を通して感じることのすべてを指す、とある。般若心経の「色即是空」の「色」だ。目に見える、形あるもの。
まさに、私が深い関心を寄せている自然の世界は、物質・物理現象の「色」の世界。たとえば、植物の花や葉のかたちをみて、それがなんの植物かを分類し、香りは? どんな性質をもっている? 生育環境は? と、その植物独自の形態と生態を見いだし、生育している環境や来歴をよみとろうとする。
すべての自然科学の出発点はまさに「色」にあり、人間はそこを探究することによって自然の摂理を解明してきたといえる。それは世界の成り立ちを知ることであり、もしかしたら仏教的な側面からみると、悟りをひらくことにつながっているのかもしれない……私は、「見色明心」をそう解釈したいと思った。
個人的な体験としても、自然を理解することは心からの驚きとともに感動があり、私の感性がひらかれていくように感じている。それは「明心」へ導かれるようなプロセスともいえる気がする。
出会いというのはほんとうに不思議だ。
「見色明心」。きっと、この4文字の言葉とその意味を私はこの先もずっと大切に心に留める。そうやって、この言葉は私の人生に響きつづけるだろう。
2022年6月
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
ものを書くとき、調べをつけることが大切です。
なんとなくこんな感じかな? という印象で書かれたものだって、巧みに書かれていればそれなりの魅力がありますから、それがわるいというはなしではありません。
しかし、読者は総じて「知りたがり」です。
知りたい気持ちが満たされないと、読者をがっかりさせることにもなりかねません。
書き手はともかく調べをつけておくこととしましょう。
それをどのくらいの精度、分量で記するかは別の問題になりますが、知って書いているか、知らずに書いているかは、文章をとおして伝わるものです。
「見色明心」を追ったsikiの綴りが心地よく響くのは、そこです。そうだったのか、とともに、ある境地に立つことができた幸いを感じました。
読み手と書き手の通い路について、考えさせられてもいます。 ふ
みかん畑で思うこと 谷澤美雪(タニザワ・ミユキ)
5月の畑はひっそりしています。
「ああ、いい香りがする」
みかんの花のにおいです。枝々から、やわらかな若葉も芽ぶいて、今年も甘夏みかんを収穫する季節がやってきました。
畑に立つと、忘れられない人のことが浮かびます。それは姑(はは)のこと。
すぐ近所から、三つ編みをして嫁いできたとき、19歳だったそうです。人の出入りが多い旧家で、口ごたえなんかできずに働きづめだったと、亡き姑。
決まった時間に起きて家事をし、1年中畑仕事です。若い頃から収穫したみかんを背負ってきたためか、背中が丸くなっていました。63歳で夫を亡くしてからもひとりで畑に通いつづけていました。
いつも決まって梅干し入りのおにぎりを2つと甘いものを少し、リュックに入れて。
そうそう、おにぎりではありません……、「おむすびが大好き」と言っていました。
お昼になると電気屋さんからもらう大型冷蔵庫のダンボール箱を開いて敷き、その上で食べるのです。
「昼寝もするよ」
と教えてくれました。
「トイレはどうしているの」と聞くと、「うふふ」と笑っていましたっけ。
私には真似ができないことばかりです。
拾い畑に実ったみかんを、木に登り、1つも残さず収穫し、出荷は親せきの八百屋に出していました。現金が入るのは1か月後。明細と現金の入った茶封筒を受けとると、封も切らずに仏壇に供え、手をあわせていました。そして必ず「やれやれ」と言うのでした。
「やれやれ」という言葉の中には、今年も収穫できたという喜びと安堵感がいっぱいだったはず。
そんな姑を心から労ってあげたくて、大好きな生菓子を買って来て、お茶を淹れて一緒に食べました。
みかん畑は知っています。
小柄な体で77歳まで丹精こめて畑を守って来た芯の強い、やさしくほがらかなひとりの女性のこと。
「お姑さーん、今年も無事に甘夏みかん、収穫してますよ」
体が枝にさわるとぱらぱらとまっ白な花びらがこぼれて来ます。たくさん、たくさん、こぼれて来ます。
気がつくと花が咲き終わった枝の中で小さな、かわいいまん丸みかんが実りはじめていました。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
この作品に抱かれながら読みました。
読後もずっと、やわらかいもののなかに横たわる感覚がつづきました。
お姑(かあ)さまのお好きだった場所で、どうぞゆっくり朗読してさしあげてください。どんなによろこばれることでしょう。そしてまた、朗読すると、作品の奥行きを作者自身、あらためて感じることになるはずです。
ところでひとつ質問です。
甘夏みかんの収穫は、1月から3月ごろかと思っていました。
ちょっと調べてみましたら、5月6月に、もっともおいしい甘夏が穫れるという記述をみつけました。
作品のはじまりが5月。
後半(結びに向かうあたり)には、木々に白い花びらがこぼれている。
作中の時間軸は、大事です。
皆さん、「いつ、誰が(何が)……」が読者にはっきり伝わるように、注意深くゆきましょう。 ふ
さんぽ 三田村はなな(ミタムラ・ハナナ)
数年前のその日、夫とふたり、近所を散歩していた。
道に投げ捨てられた缶や瓶のごみが目が付いて「ごみ多いね。」と夫がつぶ
やく。
不思議なことに、これ使っておくれと言わんばかりに道路脇の枝にスーパー
の大きな買い物袋が引っかかって風に揺れていた。
それから、袋を片手にごみ拾いの散歩のはじまり。
始めた当初は、「車の窓からポイかなぁ、助手席の人?まさか運転手? ワインの瓶だよ………。」そんな探るような、いくらか責めるような思いから、ごみを草の影から見つけ出してはニンマリしたり、この紙コップが有ると言うことは、近くにその蓋とストローが有るはずだあ。
と、探偵気分で「みーつけた。」とごみ拾いに集中していた。
いつの間にかサイズの違うごみを入れる袋は3枚に増えていて、缶や箱は平たく潰しても持ち手に指が2本入るのがやっとになる位にまでごみは袋からあふれていた。
家まで行きつくか心配になってきた………。
車の通る道を抜けるころ、民家のある中の1軒の婦人が外で洗車をしていた。
私たちを見るなり、道のごみ拾いと察してくれたのか、
「そのごみ捨てとくから、うちに置いてって。」と言ってくれた。
神様のお計らいのような言葉に感激する。
お言葉に甘えて、ごみの入った3袋を置かせて頂いた。またその方は車の中から買い物用のビニールのエコバックを2枚くれた。
その後は思いの外ごみは少なく、袋からこぼれることもなく家路についた。
今回の散歩は、6キロのコースで3時間近くかかった。
これ以降、ときどきふたりで、または私ひとりでサクッとごみ拾い散歩をしている。
ここ数年は、マスクや手袋それにウエットティッシュが多く、時制を思わせるごみ達であった。
スウェーデン発のプロギング(Plogging)というランニングをしながらごみ拾いをする行為もあると聞く。
ごみ拾いを賞賛し、しやすくする傾向もあるようで有り難い。
かつては、道に落ちたごみを拾うことはなかなか出来なかった。
恥ずかしかったのか、善人者風に思えたのか、いや何も考えていなかったのかもしれないが、今は子を持ち、歳を重ねいろいろな枠が少しずつ突破られ、また環境問題にふれる機会がふえる中、ごみ拾いと結びつけることが出来たのだと思う。
いま家には黒のごみ袋の口に付けるプラスチックの手持ち付き輪っかや長い棒の先にごみを挟む棒まで2本用意されている。
夫がインターネットで購入したのである。
こんなものを見つける男の人はおもしろいなあ…………。
この頃は、道端に草が生い茂っているからだろうか、ごみが目につかない。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
この作品を読んで、清清しい心持ちになりました。
わたしにも、ごみ拾いの意識はあるつもりですが、こうしてごみ袋を持って散歩をすることはありませんでした。
真似したいと思います。サクッと。
探偵気分、神様のお計らい、善人風というようなことばをうまく配置して、三田村はななは自らの心境を表現しています。飾らず、あるがままを綴るところ、とてもいいですね。
書き手は、イギリス(North Yorkshire)在住。
どうですか? 読んでいて、その感じがつかめたでしょうか。 ふ
2022年7月の公開作品
大豆ミートの唐揚げ定食 彩夏(アヤカ)
むかしから、まねがすき。いや、お手本を見つけるのが上手い、と言ったほうが気分的にはいいかもしれない。いいなと思ったことはすぐにやってみるし、人にも伝える。
ときどき、無性に食べたくなるごはん屋さんの定食がある。
今日はその店でごはんを食べてほしい、ともうひとりのわたしが言っている。駅からすこし歩くのだが、わたしは自分の声にしたがった。
大好きな大豆ミートの唐揚げ定食を注文した。あたたかいよもぎ茶を飲みながら待っていると、となりの席におなじくおひとりさまがやってきた。メニューをじっくりと眺めている。大豆ミート美味しいですよ、と心のなかで言ってみる。
定食が運ばれてくるなり、わくわくと頬張る。
となりの席にも運ばれてきたようだ。なにを注文したのだろう、わたしの右側が反応をはじめる。すると、おとなりさん、箸を持つ前にしずかに胸の前で手を合わせ、いただきます、の呼吸をしているではないか。わたしの右側がより大きく反応した。
ひとりで外食をするとき、わたしは手を合わせていなかったことに気づく。恥ずかしさがあったのか、それともただ忘れていただけなのか。大豆ミートの唐揚げを頬張りながら、頭のなかはもうごちそうさまのことでいっぱいになっていた。がんばれ、あなたにもできる、ともうひとりのわたしがまた話かけてくる。
すべての器がからっぽになった。ゆっくり箸を置いた。そして胸の前で静かに手を合わせる。ごちそうさまでした、とちいさな声で言ってみた。こんなに気持ちをこめたごちそうさまは、はじめてかもしれない。あたりまえのことをしただけなのに、すごくいいことをした気持ちになった。穏やかな気持ちがわたしの中に生まれ、そして溢れでていく。
まねをするってわるくない。だから、むかしからまねがすき。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
とても魅力的な作品ですね。
なになに? 大豆ミートの唐揚げ定食って。よもぎ茶、飲んでみたい……と、わたしの好奇心と食欲が反応しています。
さて、ここからは、提案です。
「むかしから、まねがすき。いや、お手本を見つけるのが上手い、と言ったほうが気分的にはいいかもしれない。いいなと思ったことはすぐにやってみるし、人にも伝える」
「まねをするってわるくない。だから、むかしからまねがすき」
これは書きだしと、結びですが、これをないものとして、読んでみてください。なくても、いいな、と思うことはすぐまねする作者の心意気、素直さは伝わるのではないでしょうか。
わたしなら、これはどちらも書きません。
書いてわるいわけではないけれど、ないほうが書き手の佇まい、考えがストレートに伝わるように思えるのです。
どうですか?
皆さんも、ちょっと考えてみてください。 ふ
めんよう かけはし岸子(カケハシ・キシコ)
それは、古びた中華料理店でした。
20数年前のことです。
都内の小さな広告制作会社にわたしは勤めていました。
社員は7人。毎日残業が当たり前でしたが仕事仲間にも恵まれ、楽しくやりがいもありました。
その日はカラサワさんがランチにさそってくれたのですが、遅くとった昼休みのせいもあって近くの食堂はもう閉まっていました。あそこならやっているはず、とカラサワさんの案内で路地を曲がり、また曲がり、この店に辿り着きました。
初めて来たお店でした。
日に焼けて白っぽくなった赤いのれんが、店の歴史をあらわしています。
「いらっしゃい 空いてるからどこでもどうぞ」
入り口近くの4人席に座ります。ここからは厨房が見えますが、奥に誰かいるような気配はありません。おばあさんがひとりで切り盛りしているようです。
赤みを帯びた午後の光が店内まで入りこんで、テーブルの黒い影がわたしの足を捕らえています。疲れているとつい下の方ばかり見てしまうのはわたしの癖です。
「あれ、めんようというんだよ」
ほら、と言われ顔を上げました。カラサワさんの視線の先を見ると、中国の飾り物が棚に。福の字が逆さになっている壁掛け。麒麟や虎、金色の牛も。他にも動物の置物がいくつか。中華風の服を着た子どもの人形。神様かもしれません。とにかく縁起のいいものを集めた、というような雑然とした棚でした。
「どれが……めんようですか?」
聞きながら、頭の中で漢字にしてみます。
綿羊 麺妖 面容 綿用 面葉 面妖 麺用 めんよう
どんな字ですか、と口を開く前にカラサワさんは
「めんようだよ、めんよう」
そういうと、なぜか顔を近づけて少し小声で話を続けました。
「数十年前のことなんだけど。この店は最初、夫婦でやっていたんだよ。そこに、旦那さんとややこしい関係にあったさっきの……あのおばあさんが乗り込んできたんだ。もちろん、その時はおばあさんではなかったけどね。一悶着あったようだけれど、いつの間にか3人でお店を切り盛りするようになってたんだよね。案外、繁盛してたよ。そうしているうちに、旦那さんが亡くなって、女性2人きりになっちゃった。その後も長いこと2人でお店をやっていたよ。数年前に奥さんが亡くなって、途中でやってきたあの女ひとだけがこのお店に残ったんだ」
なんだか、小説みたいな話ですね、とわたしは言い、気になっている「めんよう」のことを尋ねようとしました。
「あの……」
「おまちどうさま」
おばあさんがやってくるなり、わたしたちは怒られた時のように姿勢を伸ばしました。
「あんかけ焼きそば大盛りと、天津麺ね」
それぞれの麺がテーブルに置かれました。どちらにもギラギラした餡がたっぷりとかかっています。麺を口に運びますが、かなりの熱さです。これが亡くなった店主の味なのでしょう。きっと何十年も守り続けているに違いない。ひとりになったおばあさんと、いつか話をしてみたいと思いました。
それにしても、めんよう のことが気になります。
妖怪か何かの名前なのだろうか。ほら、と言ったくらいだからお店の中に飾られているどれかに違いありません。カラサワさんの方に汁が飛ばないように気を使いながら麺を啜り、店内を見回します。
カラサワさんは、お酢をじゃぶじゃぶと回しかけ、小瓶からからしをたっぷりととり、麺に夢中です。
自分が言ったことなどもう忘れてしまっているようです。
やけに静かな店内に、わたしとカラサワさんの麺を啜る音が響きます。
お腹がいっぱいになると、頭の中に白い霧が出たようにますますぼんやりしてきました。
終電で帰る毎日の疲れが、今になってひらひらとまとめて覆い被さってきたようです。
泥の中に沈み込んでいくような眠気。
奢ってもらったというのに、失礼だと思いましたが、はやく会社に戻り残りの仕事をさっさと終わらせて帰りたい、ということばかり思っていました。
そして、それきり「めんよう」については聞けずじまいになってしまいました。
20年以上経った今でも、わかりません。
そもそも、本当にわたしはあの日、あの中華料理店に行ったのでしょうか。地図で探したり、実際に歩いてみたりもしました。
でも、みつかりません。
今では、そんなお店が本当に存在したのかも曖昧です。
それなのに、年季が入ってお皿を置く部分が白く浮き出た赤茶色のテーブル、メニュー表の字体やそこに書かれたマーカーの文字、赤い蓋のからし入れ、少しベタベタした床とその上に落ちた影……それらのことが写真を並べたように浮かんできます。
まるで白昼夢を見たような……めんような物語から抜け出せないのです。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
読書の時間を皆さんに贈ることができたように思います。
ひとのおもしろみ、女の不思議が静かに描かれていて、いいでしょう?
皆さんからときどき、随筆と小説のちがいについて問われます。
ジャンルとしては別別のものですけれども、境界線があるとしても、それをまたぐことは起こりましょう。またぎたくなる瞬間は、誰にもめぐりましょう。
この夏、そんな作品にも挑戦してみてくださいまし。 ふ
一緒に困る 泉野ほとり (イズミノ・ホトリ)
「お腹が痛いから、保健室に行ってきてもいいですか」
簾(すだれ)のような前髪の奥から怯えた瞳が震えている。
5月から自宅近くの中学校の、教室に入りにくい子どもたちの居場所で働くことになった。
子どもたちが教室に入りにくい理由は、さまざまだ。
教室の騒がしさに耐えられなかったり。
複雑な家庭の事情があったり。
なんとなくだったり。
子どもたちが抱える心の奥行きは深く、周りの光がなかなか届かない。時としてそこに闇がひろがり、その中で子どもたちの心はさまよう。さまよう子どもの手を掴もうとして話しかけると、こちらの言葉に圧力を感じるのかトイレにこもるようなこともある。慌てて静寂を保とうとするとそれはそれで重圧になり……。
大人は途方に暮れる。
相談室から一歩外に出ると廊下の向こうから男子生徒がウロウロと近づいてきた。
「校章を留めるやつをどこかに落としてしまって。ほら、こんなに小さいから見つからないかなあ」
マスクの下で緊張していた私の口元が思わず緩んだ。
「見つけたら拾っておくね」
廊下と相談室の間には見えない高い壁がある。壁の存在を意識させられる瞬間は、日々重なってゆく。
相談室に入ると、保健室から戻っていた女子生徒の姿がない。しばらくしても帰ってこないのでトイレに探しに行くと、トイレの出口に立ちすくんでいた。思わず抱きしめたい気持ちになったが、「大丈夫?」と問いかけた。無言のまま彼女は先に相談室に戻っていった。安心できる居場所を探し求めてさまよう彼女たちと探し回る大人たちの不毛なくり返しが果てしなく続く。
壁の存在に気づいてしまった敏感な少女たちがいつかその壁を越えられるように見守ろう。否、壁を越えなくてもいいのではないか。彼女たちが彼女たちらしく生きることができるなら、それで。
いまは私も彼女たちと一緒に高い壁を前に困っていよう。
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〈山本ふみこからひとこと〉
思わず抱きしめたい気持ちになったが、「大丈夫?」と問いかけた。
このくだりを読んで、読み手のわたしは書き手の泉野ほとりを、抱きしめたくなるのでした。そうしたいのを我慢して、「大丈夫?」と、問いかけるにとどめるのです。
かつて、わたしが子どもだったころには——そうとう昔のはなしをしています——いまよりひととひとの距離が近かった……。
近いというより、このような意識が実現していたのです。
庇(かば)う。匿(かくま)う。許す。許される。
泉野ほとりせんせいは、抱きしめていい。
なーんて思うのは、わたしの甘さでしょうか。
現代の対人のむずかしさが、思われてなりません。
(しくじっちゃってもかまわないんじゃないか、とはゆかないのが、この世の有りようです……)。
読み手たるわたしの感傷は、ここで幕を引くとして。
このたびは「、」「。」についてお話ししたいと思います。いわゆる句読点です。
ひとは、ものを書くとき、文字に気持ちを向けてゆきます。「、」も「。」も、ほんとは文字の仲間なのですけれど、なぜか、その存在は軽んじられる傾向にあります。
好きだなあ、うつくしいなあ、こういうものが書けたなら、どんなにいいだろうと、皆さんが思う文章を思い浮かべてみてくださいな。
……。
どうですか? 句読点も、存分に働いているのではないでしょうか。
泉野ほとりの「一緒に困る」は、静かで、うつくしいエッセイですが、もう少し「、」が打たれていてもよいかなあと、思いました。少し「、」を足させていただきましたが、もう少し打てるように思います。
音読して、その、打ち所を決めることです。 ふ
大好きな絵本 きたまち丁子 (キタマチ・チョウコ)
長女の家族のもとに、子猫がやって来た。
家族でプロ野球観戦(東京ドームでの巨人対ヤクルト戦)に行った帰り道のこと。
家の近くの草むらで、か細いけれど、夜空に高く響くような声で、
「ミーミー」
と何かが鳴いていたという。
携帯電話のライトをつけ、あたりを照らすと、子どもの手のひらに乗るような小さな小さな子猫がこちらをみつめている。
すぐに抱き上げて連れ帰ったのですって。
長女から送られてくる子猫の動画に盛り上がり、1週間後、夫と次女とわたしは子猫に会いに行く。
小さな子猫は待っていた。
黒猫だが足先だけ白い。白いソックスを履いているようだ。
「誰かににている」
と思った。
しばらく考えていたら、長女のところの、8歳になるコトリ(仮名)の瞳だ。
あの日、野球観戦の夜。最寄り駅からタクシーに乗って帰る予定だったがコトリが、歩いて帰りたいと言いはり、子どもの足で30分はかかる道のりを、家族で歩いて帰ったという。
タクシーに乗っていたら、子猫には出会えなかっただろう。
目の前の子猫は、長女の手のひらに乗って、哺乳瓶をくわえ、ミルクをコクコクと飲んでいる。
とつぜんひらりととび降りたかと思ったら、トタトタと小走りに廊下の方へとかけていく。
そこには子猫用のトイレが、おいてあった。
こんな小さな身体でトイレの場所を覚え、ちゃんと用をたせるなんて。
少しびっこをひいているのが気になる。
聞けば、獣医さんから、子猫が右足を複雑骨折していること、子猫は痛みを感じていないのだが、高いところにジャンプすることはもう、できないだろうと告げられたそうだ。
野生の猫は、自分の産んだ子猫に何か障りをみつけると、置きざりにしてしまう。
そんな話を獣医師から聞いたと、長女がそっと語った。
「あの夜、一生懸命鳴いてよかったね」
子猫のつぶらな瞳をわたしはのぞきこむ。
名前は、ピッチに決まった。
長女も次女も、そして長女のところの3人の子供たちも、みんな大好きな絵本『こねこのぴっち』※から拝借。
※『こねこのぴっち』ハンス・フィッシャー著/石井桃子訳(岩波子どもの本)
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
うらやましいなあ。猫。
黒猫だということも、白ソックスを履いていることも、なんだかうらやましい……。
ええとさて、この作品にくすぐられるのはわたしだけではないはずです。書き手の体温が伝わりますね。
くすぐられてにんまりしているだけでは役目が果たせないので、ここで「書き出し」について考えてみたいと思います。
長女の家族のもとに、子猫がやって来た。
この書き出し。ここですでにくすぐられるわけですから、問題ありません。その上で申しますが、たとえば……。
「誰かににている」
と思った。
こんなはじまりでもよさそうです。
問題ないのに、これもよさそう……? とは何しょう。そうです、もう少し、書き出しの可能性をひろげてはどうでしょうか、という提案をしたいのです。
書き出しでこころをつかまれるという感覚を、皆さんも読書のなかで持たれたことがあると思います。
事柄、出来事の頭から順を追って書くと決めてしまってはつまりません。
ちょっぴり謎めいている。かすかに脅かされた。ほのかに甘美である。
……要素はいろいろですが、おおよそ書きあがったときに、おや? このあたりを書き出しにしてもよいのではないかと思ってみることもおすすめしたいのです。
きたまち丁子のご長女のところの、猫さんはメス猫だそうです。メス猫ピッチの冒険のはじまりはじまり! ふ
2022年6月の公開作品
帰ってくる子供たち 守宮けい(ヤモリ・ケイ)
「下校時刻のまえに不審者情報が出たので、保健所のあたりで見守りをお願いします」
季節は初夏の汗ばむ昼下がり。
学童保育のクラブ室に入る早々、イレギュラーな指示を受け、急いでオレンジ色の防犯チョッキをはおって、携帯電話と念のため救急用具も持って保健所方面に急いだ。クラブ室に帰ってきてない子はあと5、6人、とホワイトボートを確認することも忘れずに。
「ヤモリーン!(これは、わたしです)」
3年生のスズメちゃん(仮名)とヒバリちゃん(仮名)がわたしを見かけるなり、ランドルセルをカタカタさせながら、全力で走ってきた。
クラブ室では上の学年でおしゃまな2人も、こうして外で見かけると、まだまだ幼くて、無邪気な笑顔が天使のように可愛い。
感情がぐらりと揺れる。2人の輪郭が滲みそうになるのをこらえた。
「不審者情報が流れたから見守りにきたよ」
「知ってる、よ!」
学校からクラブ室までの道のりは遠く、子供の足でゆうに30分はかかる。2人が最後の見守りだったので、学校や帰り道の様子をピーチクパーチク囀(さえず)るのを聞きながら、一緒にクラブ室へ向かった。
学童保育の臨時職員として働きはじめて8年になる。
一昨年から「サポートスタッフ」なる呼称になり、雇用形態は若干変わったものの、福祉的観点からの学童保育業務のサポート、という基本的な仕事の幹は変わらない。
小学1年生から3年生が中心の保育の仕事で、学校から帰ってくる子供たちの受け入れ準備から始まり、おやつの配膳、後片付け。障がいのある児童の単独の見守りや、子供たちに本を読んだり一緒にゲームをしたり、と多岐にわたる。保育終了後のクラブ室の清掃、翌日の簡単な準備で終了。
そうそう。コロナ禍はこれらの合間に検温や備品の頻回な消毒も追加された。
今年度でこの仕事から離れよう、と夏前に決めた。スズメちゃんとヒバリちゃんがかけ寄ってきてくれたことで、
「あー、これで十分」
と心がスッと凪いで、晴れ晴れとなった。
子供が好きで学校の先生になりたい、と希ったころがあった。この仕事に出会えたとき、ほんの一部分でも叶ったように思えて、嬉しかった。
8年間たくさんの子どもたちと触れ合ってきた。常に胸にあったのは、1人として同じではない子供たちにとって、正直で信頼でき得る存在でいよう、ということだった。
家庭環境が透けてみえ、苦しくなることもあった。本気で叱ったりぶつかったり、消耗することも少なくなかった。未来ある子どもたちが眩しくて、一緒に胸おどらせる瞬間も贈られた。
若い職員の、愛情あふれる対応に感心しながらも、段取りを提案したり、ときに強く意見することもあった。扱いづらいスタッフだったかもしれない。
それも含めて良しとして、清々しく自分を労いたい。
お疲れさまでした。8年間の360度に感謝。
2022年5月12日
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〈山本ふみこからひとこと〉
守宮けいせんせい、8年間どうもありがとうございました。
けいさんのように正直で、センスがよく、おもしろいひとが子どもたちの近くにいてくれたことを考えると、「ありがとう」と云わずにはいられません。
しあわせだったね、スズメちゃんとヒバリちゃんたち!
「常に胸にあったのは、1人として同じではない子供たちにとって、正直で信頼でき得る存在でいよう、ということだった」
という8年間の決心。なかみの詰まったことことばを、わたしは忘れないと思います。書き手として、こんなことばを伝えることのできたら、「あー、これで十分」と、わたしは思うでしょう。 ふ
オオタマ 原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)
大学生のころは、東京・目白に4畳半を借り、下宿生活をしていた。
毎月30日に、実家から仕送りの書留が届く。一時的にふところ豊かになるが、半月も経つとさびしくなる。次は下宿仲間の誰に仕送りが届くのか。あてにして暮らすことになる。
仲間に九州の米屋の息子がいて、彼のもとには毎月15日に仕送りが届く。段ボール箱が届き、米とじゃがいも、玉ねぎがいっぱい詰まっている。当日の午後は数人の仲間が来て、下宿への配達を今か今かと待っていた。
玄関で運送屋の声がすると、全員が部屋を飛びだし、段ボール箱のもとに駆けつける。すぐに共同の台所に運び込む。いっせいに料理にとりかかる。ご飯炊きとおかずのチームに分かれ総出で料理する。
食事ができあがると闘いだ。炊いた6合の飯がどんどん食べられて行く。必ず自分の皿が空になるまで食べないと、次をつぎたしてはならない。予め余分に確保しようとする奴は怒られる。互いに牽制し合いながら食べ、全てが空っぽになる。全員、満腹になり大満足。
大学のすぐそばには、学生専門の牛丼屋があった。30人ほど入ると、ぎっしり満員の人気店。昼はあふれかえり、外に並んで待つ。
メニューは牛丼の並が150円。大盛が200円。特別大盛の卵付きはオオタマと呼び、250円。
学生食堂ならラーメンが40円で食べられる時代だから、オオタマは破格のぜいたくメニュー。学生の憧れの的となっていた。いつか食べてみたいと誰もが夢見ていた。
下宿の仲間がそろってアルバイトをして稼ぎ、まとまった金を手にした。
よし、ぜいたくしよう。意を決して、牛丼屋に乗り込んだ。
店内はいつもどおり混みあい、誰も彼もがせっせと牛丼に向き合っている。
カウンターに同志3人が並んですわる。
「オオタマをひとつ!」と、大きな声を張り上げた。
店内のみんなが、いっせいにこちらを見る。
「おれもオオタマ」
「おれもオオタマだから、全部でオオタマ3つ」
店中に羨望があふれ、静まり返った。
3人は勝ち誇ったかのように、姿勢を正してオオタマに挑んだ。
オオタマはじっくり煮込んだ牛肉と生卵が混じり合って、実にふくよかな味。しみじみと噛みしめる。とてもうまい。感動して、互いにうなずき合いながら食べた。
あれから、何十年も経った。今や、大規模な牛丼のチェーン店が全国到る所に出店し、どこでも味わえるようになった。
そんな牛丼店に入って座ると、つい「オオタマ!」と気合を入れて注文してしまう。すると、店員がけげんな顔をするので「大盛の卵付き」とむにゃむにゃ補足説明している。
味の方は、どこでオオタマを食べてもまあまあうまい程度。学生時代のようなしみじみとした感動はない。
2022年4月28日
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〈山本ふみこからひとこと〉
オオタマ、食べたくなりました。
皆さんも、そうではありませんか?
若いひとが豪快に食べるのを見るのは、とてもとてもうれしいものです。
エッセイ、随筆には、書き手の経験が置かれます。
読んでいて、まるで自分もその場にいたかのような気持ちになるかと思えば、「だからどうした」とつきあいきれない感覚を抱くこともある……。
「だからどうした」とならないために必要なのは、そうですね、情感です。
書き手の情感が、読み手に流れこんできたところに、共感が生まれたり、あこがれが生まれたり、知りたいこころが生まれたりします。
経験したことすべてを書こうとせずに——すべて、となると、どんどん薄まってゆきますし——切り分けて書くことも大事です。切り分けて、また別の作品にしてゆくことをおすすめします。
切り分けるとき、書き手は考えます。自分はここで何を伝えたいのか。
かすかにでもテーマが生まれてくればしめたもの。
「オオタマ」のテーマは、昔といまでは、食べ方が異なるという結びの2行に集約されています。 ふ
コインランドリー 望月理恵(モチヅキ・リエ)
白物家電はなぜか唐突に終わりが来る。
そういえば以前、突然冷蔵庫の臨終に立ちあうこととなった友だちが、こんなことを言っていた。
「壊れる前日に急に調子取り戻したのよ。今思うとあれ死ぬ前のおじいちゃんよ。亡くなる前って不思議と元気になるじゃん。」
なかなかブラックだ。
うちの洗濯機も突然壊れた。
8年使えばそろそろと覚悟はしていた。洗濯の途中、それも脱水直前だったから、まるで仕事を途中で放り出されたような絶望感で一瞬途方に暮れる。
しかし、「新しい洗濯機を買う&途中の洗濯物を終わらせる」という2つのミッションを同時に進行するべく行動しなければならない。
まずは、家電量販店に行く前にコインランドリーに寄ることにした。考えてみたら意外にも人生初のコインランドリーだ。ドラム式洗濯機が並んだ空間は宇宙ステーションみたいじゃないか。そこで業務用の洗濯機を試せるとはラッキーだななんてワクワクしながら行ってみたら、利用料が思ったより高かった。洗濯~乾燥コースが900円ですってよ、奥様。
ま、今の状況を考えれば安いものだ。なにしろ脱水の途中で終わった洗濯物をどうにかしなければならないのだから。我が家の使い古したタオルやパジャマもプロの仕事でふんわりふかふかに仕上がるのだから。
気を取り直し、期待満々で洗濯物をセットした後は家電量販店へ急ぐ。家から徒歩圏内に有名な家電量販店が2店舗あるのは不幸中の幸いだ。
まずはYダ電機へ。店員イチオシは今までと同じメーカーのドラム式だと言うので、8年間の隙間を埋めるべく新作の機能や他のメーカーの情報などを入手。余談だが、白物家電を買うときは最上位機種を選ぶことはまずない。「最上位にするために付けられた機能」はなくても良い機能でかつ壊れたら面倒くさいというのを学習している。
一通り説明を聞き、最後に「で、おいくらになるのかしら?」と恒例の価格チェック。店頭価格より3万円程の値引きだった。「検討しまーす」と言い残し、歩いてすぐのKズへ急ぐ。買う機種は決めたので「これくださいな」と先にYダで提示された価格を伝える(台本通り)。Yダより更に3万円安い!在庫残り1個!明日納品可能!即決!
Kズの店員さん曰く、「常に近所の相場を調べてる」とな。がんばれYダ。
新しい洗濯機を無事に購入し、先に寄ったコインランドリーにふわっふわに仕上がっているであろう洗濯物を取りに行く。期待値マックスで扉を開けると、洗濯物がない?え?
よくみるとタオルやパジャマが大きな洗濯槽に張り付いていた。量が少ないとこうなるドラム式あるあるだ。
張り付いた洗濯物は面白いほどバリバリなのだが面白がっている場合ではない。唯一ふんわり仕上がっていたのは夫のパジャマのズボン1枚のみというのも信じがたい。訳がわからない。900円も払ってコレかよと思ったが、新しい洗濯機を6万円の値引きで購入できたことを思い出す。Kズ、グッジョブだ。
明日バリバリのタオルを洗い直すのが楽しみだ。
***
〈山本ふみこからひとこと〉
元気、出ましたー。
わたしには、Yダ電機やら、Kズやらをまわって品定めをしたり、値踏みをする知恵がないのです。賢いひとって、こうなんだなあ、と感心しています。
理恵さんには、あたりまえのことかもしれませんが、ここはこう書いたほうがよくはない?
新しい洗濯機を6万円の値引きで購入できたことを思い出す。
↓
新しい洗濯機を6万円(Yダにて3万円+Kズにて3万円)の値引きで購入できたことを思い出す。
それにしても、おもしろい。
このおもしろさのなか、経済は活性化し、家電も進化してゆくのかもしれません。 ふ
まゆみさんと浅煎り珈琲 古川柊 (フルカワ・ヒイラギ)
「浅煎りですが、ぜひ。」
友人のまゆみさんから、京都で手に入れたという珈琲豆が届いた。旅好きで珈琲好きのまゆみさん、これまでもあちこちの豆をおすそわけしてくれている。
珈琲は深煎りが好みで、家でも外でもどんなときでも、濃厚でどっしりとした苦み一辺倒のわたし。まゆみさんもそのことをよく知っているから、浅煎りは思いがけない変化球なのだった。
すっぱい食べものは好きなくせに、なぜか珈琲の酸味が得意ではなく、そのことをずっと不思議に思っていた。
数年前、オットと清澄白河にある美術館を訪れたときのこと。浅煎り珈琲が評判という店が近くにあり、せっかくだからと立ち寄ってみることにした。
はじめて注文する浅煎り珈琲。どんな味だろうかと、期待半分不安半分でおそるおそる口にしてみると……あらまぁ、残念無念、あまりのすっぱさに飲み干すことができず、それどころか、店を出た直後、ジェラート屋で口直しをしたほどなのだった。
さて、そんな苦いというよりすっぱい記憶をよみがえらせながら、京都みやげの珈琲を飲んでみる。すると、どうだろう。それは何の抵抗もなく、するすると喉を伝わり、体にしみ渡るようではありませんか。フルーティーな香りがさわやかでここちよく、奥のほうで感じる控えめな酸が、珈琲の苦味を丸くしている。なるほど、深煎り珈琲では気づくことのなかった、珈琲は果実であるということが、はじめて腑に落ちたのだった。
酸味とは、一体何なのだろう。パッと全面に飛び出て、腐敗や危険を知らせてくれる一方、食欲を刺激したり、口の中をすっきりさっぱりさせてみたり。あるいは、黒衣のように存在感を消しつつ、ぼんやりとした味をひきたたせたり。はたまた、とがった味や塩辛いものには、おだやかさや奥行きを与えたりもするのだから、その見事な名脇役ぶりに拍手喝采なのだ。
ちなみに、わたしはといえば、ときどきまゆみさんと一緒にごはんやお酒をたのしみながら、日々のくらしで纏った、いがいがやざらざらを、まろやかにしてもらっている。
(2022.5.11)
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
あこがれますねえ。
こんな作品を読むとですね、自分の「鈍感さ」がうら寂しく思われます。
「珈琲は果実であるということが、はじめて腑に落ちたのだった」
なんて、云って(書いて)みたい。
さてこの作品の場面転換、いちばんの盛り上がりは、ここです。
「さて、そんな苦いというよりすっぱい記憶をよみがえらせながら、京都みやげの珈琲を飲んでみる。すると、どうだろう」
ここから読者は「珈琲」の峠を越えて、「酸味」の里にまで運ばれます。ふ
2022年5月の公開作品
今日はお休み 小林ムウ(コバヤシ・ムウ)
15年ほど前。
まだ娘が幼稚園に通い始めたばかりのころ。
「今日、あやかちゃんが、気づいたらお部屋からいなくなっていて。探したら、園庭のお砂場でひとり遊んでました。何事もなくてよかったです。」
幼稚園に娘を迎えにいくと、担任の先生からそういわれた。叱られただろう娘はふくれっ面でうつむいたまま。わたしは頭をさげさげ、園をあとにする。
おしゃべりが得意ではない娘から、事の次第を聞き出すのは至難の業だ。
途方に暮れながらも、わたしは少しだけワクワクもしている。うちに帰って、娘をひざに乗せる。
「ママ、保育園から逃げ出そうとしたことあるよ。実はね……。」
子どものころ、わたしは保育園が苦手だった。
妹ふたりはおうちにいてもいいのに、どうしてわたしだけ保育園へ行かなくちゃダメなのか。いじわるする子はいるし、給食は全部食べられない。プールも怖いし、怒る先生はもっと怖い。こんな気持ちで胸のなかはぐるぐるしている。ときとしてこの一言が、口から出る。
「今日、保育園お休みする!」
「お熱があったらお休みしていいけど、なかったらいかなぁいかんよ。」
と母は洗濯ものを干す手を止めない。
そうか!
わたしはうちにかけこむと、引き出しから水銀体温計を取り出した。目盛りは赤字の37.0を指している。まえに妹が熱を出したときのまま。
あっ、とわたしは思いつく。
体温計を母にみせに、また外へ。
「お熱あるから、保育園休む!」
体温計をみた母は首をかしげながら、わたしのおでこに手をやる。
「ちょこっとだけ、お熱があるがね。昨日、おなかを出して寝たのかしらん。んーまぁ、今日は休もうねぇ。」
作戦は成功。わたしはウキウキと、また布団にもぐり込む。お熱のときの母はやさしい。好物のニラ玉雑炊と缶詰のみかんを食べて、わたしはご機嫌だ。明日も休もう。
あくる朝。
同じ手を使おうとしたが、母にさとられていた。きっちりと叱られ、結局わたしは無理やり保育園へいくはめになる。
けれど、「今日は休む」と決めたわたしは、どうしてもうちに帰りたい。保育園から脱走を2回試みるも、2回とも失敗。もう少し身軽だったのなら、塀をすばやく乗り越えられたのに。もちろん、先生からはこっぴどく叱られて、その日から要注意人物となる。
「あやかちゃん、ママみたいに幼稚園が苦手なの?」
娘は顔をあげて、わたしをじっとみつめながら、言葉を探している様子。
「えーとね、ママと違う。幼稚園すきよ。んーと。でもね、お砂場で遊びたかったの。あのとき。どうしても。」
「うん、わかる。そうだったのね。」
「んとね、でもね、もうしないの。先生、みんなと一緒だと、もっと楽しいよって。」
そののち。
本当に娘はひとりだけ行動をしなくなった。
こういうとき、ほめてやらなければならないのかもしれないが、少しつまらなかった……。どうしてだろう。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
「きょうは休む」と決めて休もうとする子ども。
保育園、幼稚園から脱走しようとする子ども。
そういう子どもが、わたしは好きです。
自分もそうだったから、わかる! という感覚かもしれません。
このたびは「読者」について記します。
何かを書こうとするとき、書き手の価値観だけを抱えて突っ走ると、うまくないことになりがちです。
これが正しい道なのだ! と主張したいときには、ことさら気持ちをおさえ目にして、事実だけを描いてゆく……。
と、こんなことを書きながら、最近の自分の書くものには、うるさ過ぎる主張があるかもしれない、と省みたりしています。
読者は書き手の意図することを、そのまま受けとる存在ではない、ということは知っておきましょう。
書き手と読者は、対話をつづけてゆくのです。お互い冷静に、あたたかく対話をつづけてゆこうではありませんか。と祈る気持ちでわたしは書いています。ふ
ガチャ玉人形 板谷越りん (イタヤゴシ・リン)
狭い空間にマスク人間があふれている。
目しか動かないマスク人間たちは、ひとりずつ透明カプセルに入ったガチャ玉人形のようだ。人形は等間隔の距離を保ち受付に並ぶ。
そう、ここは病院。
馴染みの小さな診療所である。
ワクチン時間と知らずここを訪れた発熱患者に、人形たちは一斉に消毒スプレーのような視線をあびせかける。受付の女性により別棟に案内される発熱患者の背中を人形たちは消毒スプレーの視線で追う。
他者が近づくと鋭く接近禁止の視線を放つ小柄な老婦人。不安げな外国人。言葉を封じられたガチャ玉人形たちはそれぞれに自分の出番が来るのをじっと待つ。
受付で、中待合で、診察室で、そして待機場所で、看護師の指示を待つ。ガチャ玉人形の佇(たたず)まいは、私たちが新たに身につけたマナーだ。
ワクチン会場で許される発声は、看護師や医師の問いかけに答える時だけ。
ガチャ玉は、コロリコロリと順番どおりに進み、見事に予約時間ちょうどに診察室に入る。コロリコロリとゆき、コロリと診察イスに腰かける。主治医の温和ないつもの下がり目を見つけ少し安心する。主治医は丁寧に問診票を確認し、私の目をしっかり見て大きく頷(うなず)いた。つられてこちらもゆっくり頷(うなず)く。
「はい」
という医師の声で接種は完了。さほど痛みはない。コロリコロリと待機場所のイスに進み、指定時間待つと看護師が体調を確認し解放された。
診療所の玄関の自動ドアがガチャガチャと音をたてて開き、私を外界へ開放してくれた。大きく息を吐く。
「三回目接種終了!」
思わずつぶやく。
療養中の夫の感染防止にどうしても急ぎ接種したかった。
解放感と安堵感。そして脱力と放心。
薄暗くなった駐車場の車に近づきドアに手をやる。
「え?開かない」
何度もくり返すが反応がない。オカシイと思いながら、かばんから鍵を出し開錠ボタンを押す。
カシャッという聞き慣れた電子音が、1台向こうの車から聞こえた。ルームランプが「しっかりしてよ」と言うように2回光って消えた。恥ずかしい失敗に私は慌てて周囲を見回す。
途端に男性の視線にぶつかった。
「疲れたね。ワクチンは疲れる」
さっき私の後ろに並んでいた男性だ。軽く右手を挙げ「おさき」と私が間違えた車に乗り込み去っていった。
「すみません」と何度も頭を下げる私。
まるでマンガのような光景にひとりで笑った。
カプセルから出た私はいつものうっかり屋に戻っていた。
うっかりで安心するなんて。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
ガチャ玉は、コロリコロリと順番どおりに進み……。
コロリコロリとゆき、コロリと診察イスに腰かける。
こんな表現が、とても魅力的です。
いまの日常を綴ろうとすると、「コロナ感染症」を避けては通れないでしょう?
「コロナ」がどのように人生に覆いかぶさったかは、それぞれ異なります。受けとめ方もまた、それぞれ異なります。
共通しているのは、不安、窮屈、です。それを、こう、手でやさしく払いのけて……この作品が生まれました。
「ガチャ玉人形」ということばをつかまえたのが、強みです。
感度のいいアンテナ! ふ
おかあさんゆびの魔法 今井葉(イマイ・ヨウ)
きょうも泣いている。
しくしく。大声でわあわあ泣くのではなく、いやだいやだとだだをこねるわけでもない。ただ、しくしくと。
長い年月ふみこまれた黒く茶色い保育園の床は、ひんやりとして心地よい。その床にぺたんとすわりこみ、時々おおきく息をすって、園庭をみつめる。やすえちゃんの頬は、朝から涙でぬれている。
たしか、小学校に上がる前の年の、年長組の春先、やすえちゃんは入園してきた。先に入園していた私たちは、「新しく入ってきたおともだち = 泣く→ みんなでかこんでなだめる + いっしょにあそぼうと、さそう」を実行すれば、泣かなくなり、ともだちになれることを知ってきていた。
だから、やすえちゃんが入園してきた日も、それまでのように、みんなでかこんで、「泣かなくても大丈夫だよ」「いっしょにあそぼう」と口ぐちにいった。
何日かすれば、泣かずにいっしょにあそべるはずだった。なのに、くる日もくる日も、やすえちゃんは泣いている。気がつくと、みんなでつくる「わ」から、ひとり、またひとりとぬけ、ついには、先生と私、数人のおともだちだけの小さな「わ」になった。
「おうちがいいんだね。おかあさんに会いたいのかな」
やすえちゃんを見て思った。
「やすえちゃんの涙、しょっぱーい」
ある日、やすえちゃんの目からこぼれる涙を、先生がおかあさんゆび(ひとさしゆび)でなぞった。そうして、ショートケーキの生クリームをつまみ食いするときのように、おいしそうに口にして、「しょっぱーい」といったのだ。
その瞬間を、今でもはっきりとおぼえている。先生ってまほうつかいなの? あっけにとられた私。
「涙をなめた! 先生が、やすえちゃんの涙をなめた! 涙って、しょっぱいんだ」
その時、初めて涙がしょっぱいということも知った。魔法のおかあさんゆびに息をのみ、固まるやすえちゃんの頬に、こぼれる涙はもうなかった。
あの日から私は……。
やすえちゃんにかけられたはずの「魔法」にかかったまま、大人になりました。そして母親になりました。
母親になった私、あの時の先生みたいにまほうつかいになりました。
こぼれる涙をみつけたら、両手のひらをすりすりあわせ、わが子の頬をつたう涙をおかあさんゆびでぬぐいます。
こういいながら。
「しょっぱーい」
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
この作品に、何を云うことができるでしょう。
ひとは誰も、そうとは知らずに「魔法使い」になるものかもしれませんね。
「今井葉」の世界をおたのしみください。 ふ
おじゃまします 日日さらこ(ニチニチ・サラコ)
家を新しくしたときにリビングの一面を大きな窓にした。隣の庭や、大きな空を眺めるのが心地よく、外出の予定がない日は、ひがな一日、窓の外を眺めている。
そんなある日。
何かが窓に張りついてのろのろと動いているのに気がついた。カマキリだ。
12月にカマキリ。確かカマキリは越冬しないはずだけれど、ここのところの温暖化で、カマキリの生態も変わってきたのだろうか。あるいは人間のようにカマキリ人生も長くなっているのか。
窓の向こうは小さなテラスになっている。そのテラスをのっそりのっそり動いている。
お客様が来た。
次の日もその次の日も。ちょっとうれしくなった。
我がテラスへようこそ。
朝起きたら、まずカマキリを探すのが日課となった。姿を見つけるとホッとする。けれど、少しずつ老いていくのか弱っていくのか、歩みがさらに遅くなっている。やはり寒いのではないか。家に入れてあげたほうがよいのではないか。
いやいや余計なお世話だろう。カマキリは自力でここの場所を選び、ノロノロながら、自由に歩き回っているのだから。
カマキリの世界をじゃましたくなくて、なかなかテラスに出られなくなった。テラスに置いてあるブルーベリーの鉢に水をやりたいときは、カマキリが窓に張り付いていないことを確認して戸を開ける。窓そうじもしばらくは無しだ。
ところがクリスマスを過ぎたころから姿が見えなくなった。姿が見えなくなった数日後、テラスを掃除すると、小さな椅子の後ろに隠れるようにカマキリは力尽きて横たわっていた。
カマキリがいなくなって寂しくなり、今度は鳥のエサ台をこしらえた。半分に切ったミカンを置いておくといろんな鳥がやってくる。夫のお気に入りはメジロだ。メジロが来ると「きたきた」と笑顔になる。
いろいろな生き物がここで一緒に生きているのだなあと思う。あたりまえのことなのに、そのあたりまえを忘れてしまう。我がテラスへようこそなんて、恥ずかしい。どちらが客なのか。土地や家の名義が誰であれ、わたしたちは、今このときをここで過ごさせてもらっているだけ。
鳥が来ていないときを見計らってテラスに出る。その戸を開ける時には胸の中でこうつぶやくようになった。
「おじゃまします」
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
作家日日さらこの筆致が、ここに向かってのびのびとやわらかく進むのです。
……こことは、どこか。
いろいろな生き物がここで一緒に生きているのだなあと思う。あたりまえのことなのに、そのあたりまえを忘れてしまう。我がテラスへようこそなんて、恥ずかしい。どちらが客なのか。土地や家の名義が誰であれ、わたしたちは、今このときをここで過ごさせてもらっているだけ。
そう、ここです。
こんなふうにやさしく、こんな境地にたどり着くことができたなら、書き手としても、ひととしても本望でありましょうね。
ほらね、だからこそ(この「だからこそ」は、それぞれ、考えることとして)書き手は書きながら、書きつづけながら、人間力、ひととしての理解力をつけたいのです。 ふ
だから続く 桜田わ子(サクラダ・ワコ)
深夜に旅館を予約した。
コロナ過でも安心できる平屋造りの離れ。浴室からは専用の庭を望むことができ、食事は個室タイプ。残り1部屋とわかり、慌てて予約。
翌日ゆっくり見直すと温泉の2文字がどこにもない。
うっかりでは済まない。温泉に入りたくて探していたのだから。コロナ禍でデパートにもマッサージにも行けなくなって2年2か月。年金生活でも行けるくらいの宿泊料金。数日かけてやっとの思いで探し出したのだから。部屋の写真と食事の写真。どの角度からも素敵で、どう見ても石造りのお風呂は温泉だったのだから。
いつもこうだ。思い込みで決めてしまう。最後の最後で失敗する。その都度、誰かが助けてくれた。その都度、なんとかなった。だから変わらないまま年をとった。
定年退職後半年でコロナ禍。人との交流が制限され楽しみが減った反面、気を遣うことも減り、嫌な思いをすることも少なくなった。好きな時に起き、好きなことだけして過ごせる日々。うっかりを年のせいだと笑って過ごせる生活が続いていたのに、笑えない。なんたる不覚。
キャンセルすべきか。3日前までならキャンセル料はかからない。でも、コロナ禍のキャンセルはなぜか気が引ける。
まっいいか!
真水でも部屋付の岩風呂だから、肩まで浸かって両手足伸ばしてゆっくりできるはず。お料理は個室で美味しそうだったから、温泉は我慢しよう。人生万事塞翁が馬。温泉だったらこの値段では泊まれなかったはず。一期一会、いい言葉だ。こんな時に思い出すとは。
「温泉じゃなかったんだあ。」
これは旅館に着いてから言うことにしよう。きっと夫は、いつものうっかりで済ませてくれるはず。
これだから「うっかり」が続く。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
「いいじゃん、温泉でなくったって」
とわたくし、小さく叫んだことを白状いたします。
だんな様には温泉でないことを、旅館に到着してから言うことにしたというところ。しびれました。おふたりの有りようが、伝わってきたからです。
きっと夫は、いつものうっかりですませてくれるはず。
近しい登場人物のことを書くとき、こんなふうにありたいと思います。ことばを重ね過ぎても……、直球の表現を選んでも……、効果はありません。
このようにさりげなくに、坦々と。すると、くっと読者の胸のここに、伝わるのです。 ふ
2022年4月の公開作品
100字ノック
新1年生のあかねちゃん。一緒に本屋へ出向き、好きな本を1冊プレゼントすることに。あれはどう。これもいいと迷った末にママと選んだのは、小学生用の国語辞典。これから出会うだろうたくさんの言葉の海が眩しい。(100字) 日日さらこ
「何が食べたい?」「サーモンのお刺身!」6才のあかねちゃんの好みは渋い。ご飯の上に醤油をまぶしたサーモンをのせてワシワシと食べ「おかわり!」3杯食べて「あー明日も食べたい。お醤油ご飯」あっ、そっち? (99字) 日日さらこ
雲ひとつない空を見あげ「青いなあ」と呟く。強風のなか自転車をこぎながら「負けるもんか」とツブヤク。冬眠のごとく眠るわたしは「幸せ」とつぶやく。つぶやきたちは淡墨色の夜に溶けて夢になる。リアルとあわい。(100字) 守宮けい
窓から富士山がみえる電車です。きょうは曇りで拝顔叶わず。でも、富士山を描いた帯あげをしめているからだいじょうぶです。何がだいじょうぶかわからないけれど、とにかく。夢は富士山がみえる部屋での暮らしです。(100字) 守宮けい
「今年の目標、本気出す!」私A。「今年は何も頑張らずグータラしていたい!」と私B。険悪なムードの中、私Cが言う。「両方の間を行ったり来たりすればいいでしょ。これまでみたいに。人間はそう変われない」(98字) くりな桜子
ある外食の日。隣の席に70歳くらいの男性とたぶん20代後半の女性。男性は黒のラコステのポロシャツ、女性は長い黒髪。親子でもなく教授と学生でもない様子。これが世に言う「パパ活」か?全身目になり耳になる。(100字) くりな桜子
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
100字エッセイはたのし。
たのしいだけでなく、鍛えられます。いちばんには、「過剰」からの脱却。 ふ
「おまえはやるとおもったなあ」 オンネ カノン
うっかりと聞いて続く言葉は「八兵衛」である。
時代劇「水戸黄門」の登場人物、うっかり八兵衛だ。
わたしは「オンナ」であるゆえ、何か「うっかり」した場合にはいつも「ハチ子」と言い換えている。
「水戸黄門」をしっかり観たことがないので、「うっかり八兵衛」がどんなにうっかりなのか知る由もないのだが、枕詞になるくらいだもの、相当のものなのだろう。
「うっかり」を年齢のせいにできるひともいるが、わたしのうっかりはそれではない。記憶している限り、小学生から始まっている。
うっかりがおっちょこちょいに派生していると言ってもいいだろう。
小学校3年のとある日、帰りの会でプリントが配られたあと、その上にランドセルを置いてしまい、ないないと騒ぐわたしに後ろの席に座る親友がひとこと。
「かおちゃん、ランドセルのした」
あー、そうだった、そうだったと安堵の笑みを浮かべるわたしにあきれ顔の親友。
こどもの国への遠足、大雨の後で巨大プールに水がたまっていた。靴と靴下を脱ぎ、ひゃっほーと水の中を走り出した途端、ヌルっという感触とともに、すってんころりん。履いていた短パンはびしゃびしゃ。遠足に着替えなど持参しているはずもなく、びしょびしょのまま、帰途の観光バスに乗ることに。「おまえはやるとおもったなぁ」とあきれ顔の担任、ほしなっとう(あだ名)。予感していたなら「やるな」と言ってくれたまえ。
アラフィフになった先日、わたしはまたやらかした。職場で午後休みを取り、早めに帰途について、デパートで冬のセールを覗き、ひと休み、とカフェでお茶をして、久しぶりの平日休みを堪能、ルンルンで帰った「翌朝」、友人のSNSを見て「はっ!」
そうだ、これ(18時からのオンライン講座への参加)のために「昨日」は半休を取ったのだった……。
今回のハチ子は我ながらなかなかに強烈であった。
この「うっかり」は年齢のせいにできるな。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
自分自身が「うっかり」と「落ち度」で構成されているせいか、うっかりしているひとが好きです。
オンネ カノンさん、大好きだー。
エッセイを書くとき、いかに自慢話がしたくても、それをしてはいけません。どうか少しうっかりしているところ、情けないところ、阿呆らしいところを醸していただきたいと思います。
一人称で書いている人物=書き手がよく見え過ぎると、読者はつきあいづらくなります。
人生には「負」——「うまきゆかなさ」といったらいいでしょうか——の領域があります。だからこそ「うまきゆかなさ」に価値を見出してゆくことが」大事なのではないでしょうか。自慢話しをするなら、その上で、ちょこっとしてくださいな。 ふ
ピンはやってきた 西野そら(ニシノ・ソラ)
新しい年をむかえて、はやくも半月が過ぎてしまった。
「早くも」とか「過ぎてしまった」という単語を置くのは脳内に隠れている焦燥感がおのずと表れるからにちがいない。
昨年の11月から年内には終わらせたかったことがある。が、気がかりではあるのに先延ばしにしたまま結局は年をまたいだ今もなお、棚上げ状態は続いている。
「ピンとくる」
これが昨年の11月から頭のなかに居座っている。そう、昨年から持ち越した気がかりなこととは、頭に居座っているこれをテーマにした800字の文章を書けないでいることなのだ。
なにもしなかったわけじゃない。「ピンとくる」のを、わたしは果敢に待った。皿を洗いながら。掃除機をかけながら。仕事場に向かう道すがら、公園で静かに体を動かす太極拳サークルの老人たちや、先生やお友達と手をつないで散歩する保育園の子どもたちの列を見ながら。例年ほど紅く紅葉しなかったもみじ並木、葉が散って、寒そうに佇むもみじ並木を見ながらもピンとくるのを待った。
が、ピンはこなかった。
一体わたしは、なにに「ピンとくる」のだろう。「ピンとくる」のを待っていたけど、待ってなんぞいたら、永遠に書けないんじゃなかろうか。仕事場である図書館に鎮座する何万冊もの本をみては、ブログサイトに溢れかえる文章を読んでは、なにかにピンときて文章を綴るひとたちが偉大に思えてならなかった。いや、じっさい偉大である。たとえその文章がわたしにとっては響かぬものでも、読み物として存在させるというのは、ひとしごとであるのだから。
「人いきれ」にやられることがあるように、まるで「文章いきれ」にやられていたような、さなか。突然、ピンはやってきた。
書くことを大袈裟に捉えすぎない。
書けなきゃ書けないことを書けばいいじゃないか。このさい出来不出来は二の次。そうだ、2022年はこれを目指そう。
てはじめに日記というほどではないが、その日のあれこれを書きつけることにする。
そんなこんなで昨年から持ち越した気がかりも、これでようやく無事終了。
2022年2月3日
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
何について書くか。
それを考えることは、書き手の苦悩。いや、苦悩というより、書き手にとって宿命的な日常かと思われます。
何について書くか。それを思いめぐらさない日は、わたしにもありません。
思いついたら、とにかくどこかへ書くことにしています。先日、手にした買いものリストのメモ用紙の隅っこに「うそと方便」と書いてあって、あわてました。なんだろう、「うそと方便」って。
そうでした。連載ちゅうの月刊誌のエッセイのテーマをふと思いついて、書きつけたのでした。書きつけたことを忘れることもあるし、あんまり急いだせいで判読不能な文字が残されていることもあります。
皆さん、せっかくの思いつきが消えないうちに、書きとめてくださいましね。
それから、課題のこと。
課題はいつも、読書の傍、お、と思うことばを書き抜いてつくっています。課題をなぜつくっておしらせしているかといえば、皆さんが書きだす道標(みちしるべ)となるといいなあと、思ってのことです。
というわけですから、あまりこだわらなくてよいのです。課題を思って書きはじめたが、そうならなかった……という場合、悩まず、そのままお送りください。とってつけたように課題のことばが登場する場面に遭遇することもあって、そんなときには、ことばが場違いを恥じてもじもじしているのが、気の毒なばかりです。
課題も何も蹴飛ばすくらいの勢いで、自由に書いてくださればよいのです。
どうしてもいま、これが書きたかったから書いた、という作品も大歓迎でございます。
さて、西野そらの「ピンはやってきた」(課題「ピントくる」)。
根性を感じました。
どうか今後、書き手として、これまでよりも強気で書いてくださいまし。自信マシマシ(ラーメン店で「にんにくマシマシ」/トッピングの量を増やす、というときの、あれですよ)で……。
文中「わたしは果敢に待った」というのを読んで、ぐっときました。「果敢」は、大胆にことを行うときに使います。通常「待つ」という状態と合わせて使うことはないはずですが、なんだか伝わるものがあるから不思議です。こういう表現、いいなあとわたしは思っています。
(ただし、辞書にあたって、確認した上で使いましょう)。 ふ
2022年3月の公開作品
贈り物 鷹森ルー(タカモリ・ルー)
NHKの朝ドラ「カムカムエブリバディ」を見られていますか?
ドラマの中のラジオ英会話でこんなセリフに出会いました。
「グッドイーブニング。みなさん、今日はもうクリスマスの前の日ですね。アメリカあたりでは、クリスマスイーブと言って一年でいちばん楽しい晩なんですよ。
こころばかしのおくりものを子どもは親に、親は子どもに実になごやかな楽しい晩なのです。この楽しい晩に何もできない人たちのために、ほうぼうの教会だったり団体が、クリスマスバスケットを作ってそっとそれを送り届けたり、それは楽しい日なんですよ。この日が特に楽しいというのも、この日は自分の幸福よりも、まず人の幸福を心がけるので、自然と自分も限りなく楽しいわけなんです」
と、これは英会話の先生のナレーションです。
さてキリスト教の学校で働くようになったわたしにとって、商業的なイベントのクリスマスではなく、神様を感じながら待ち遠しくクリスマスを迎える12月。月初めに大きな木にクレーンで星をつけて点灯式をし、ミサが行われ、チャプレン室から「あなたもサンタになりませんか」という案内が来ました。児童養護施設で暮らす子どもにプレセントを送るのです。
プレセントはといえば、費用は1,000円程度、食べ物はダメで、クリスマスカードをそえること。名前と年齢が書いてあるリストから送る人を決めて、プレゼントを用意します。乳児院の子どもたちから送り主は決まっていきます。
残るのは高校生の男の子たち。私は高校生の男の子、女の子に送ることにしました。贈り物を探してみると、高校生に喜んでもらえるようなものは、1,000円ではほとんどみつかりません。
ある日、私の中で気になっていたことを見つけました。
日経新聞の夕刊のコラム「かわいそうは尊い」(頭木弘樹さん/2021/12/7)の中に出てきました。
山田太一の脚本のドラマに養護施設で育った青年(石橋鉄男)が進駐軍に、食べ物や物をもらっているのを見た友人に「同情されて物をもらって喜んでいるなんて、なさけない。自分だったら絶対に受け取らない」と非難される。
それに対して、青年は言うのです。
「おれはロジャーさん(進駐軍の若きひと)の親切がうれしいよ。多少、俺の自尊心が傷ついたって、ロジャーさんの気持ちを傷つけるわけにはいかないんいんだ」
やはり……とますます私の中で、このプレゼントの件が複雑に思えてきました。それでも万に一つの可能性でもいいのだと思いました。
その子の名前だけを頼りに、どんな子かな、何が好きかな、と思いをめぐらせます。電車の中で高校生男子を見かけると、聞き耳を立て、何を身に着けているのか、観察をする怪しい人になりました。ようやくプレゼントを決め、施設に託してからも彼らのことを思う「限りなく楽しい日々」は続きました。また同じ職場の人が、260人もの子どもにプレゼントを用意したということ……(日々いろんな揉め事はありますが……)そんな人とともに働いていることもうれしく思いました。
そんな時に、「カムカムエブリバディ」のセリフに出会ったのでした。
もうひとつ詩を思い出しました。
少年刑務所内の社会性涵養プログラムで作られた詩です。
「クリスマス・プレゼント」
52人の仲間のクリスマス
ごちそうを食べて ケーキも食べて
ゲームをやって 思いっきり笑って
プレゼントだって もらえるんだ
寝ているあいだに 誰かが
こっそり枕元においていってくれるんだよ
それが サンタさんなのか 学園の先生なのか
ぼくは よく知らないけれどね
でも ほんとうにほしいものは
ごめんね これじゃない ちがうんだ
サンタさん お願い
ふとっちょで怒りん坊の
へんちくりんなママでいいから
ぼくにちょうだい
世界のどっかに きっとそんなママが
余っているでしょう
そのママを ぼくにちょうだい
そしたら ぼく うんと大事にするよ
ママがいたら きっと
笑ったあとに さみしくならないですむと思うんだ
ぼくのほんとうのママも
きっと どこかで さびしがっているんだろうな
「しゃかい」ってやつにいじめられて たいへんで
ぼくに会いに来ることも できないでいるんだろうな
サンタさん
ぼくは 余った子どもなんだ
どこかに さみしいママがいたら
ぼくがプレゼントになるから 連れていってよ
これからはケンカもしない ウソもつかない
いい子にするからさぁ!
『空が青いから白をえらんだのです』 奈良少年刑務所詩集 寮 美千子/編集(新潮社)
さて、私は高校生の男子に送ったのはマンガです。日本人が世界各地を旅して、怖い目にあったかと思えば………実は思いがけず外国の人たちに親切にされたり、歓迎されたという実体験のマンガとペンを革ひものついた上等な布の袋にいれました。
(「お前、日本人か?ヌードルをすすれるのか?すすってみてくれ!」作者がすすると「おぉー!」と歓声が上がる!みたいなマンガです)
高校生の女の子には、ガラスのハートのネックレスを宝石店で買ったみたいな箱に入れ、ピンクのリボンをかけてみました。
中学1年生の男の子には、スポーツショップのお兄さんに選んでもらった、スケボーのおもちゃと首からさげるカバンにしました。
I hope for your happiness. サンタより
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
今年度さいごの発表作品です。
作家・鷹森ルーは、「引用の多い作品になりました」と云いますが、わたしは……何より、伝えようとする志のつよさに、打たれています。
これは2021年暮れの作品です。
それがどうでしょう。生き生きと「いま」のわたしたちに語りかけています。作品の持つ力を感じずにはいられません。
I hope for your happiness.
この気持ちで、「いま」を生き抜きたいと、こころから思います。
I hope for your happiness.
ふ
日々うっかり 山岸かずこ(ヤマギシ・カズコ)
現在、私の毎日いや人生は「自分に向き合う」がテーマ。
2018年、病気になった。病気なんて自分には無縁のものだと思っていた。カゼをひいても会社へ行って気力で治せばいい。まあ仮に病気になったとしても、70歳代くらいでかな、という根拠のない思い込みを持っていたのだ。
人生とは本当にわからないものだと思う。
たくさんの検査を経て、原因不明の難病という結果となり、今も通院中。
けれどこの病気は「私」という人物、私の「人生」「生き方」を見直すきっかけとなった。入院中、時間はたっぷりあったので、たくさん考えた。
早く仕事に戻らねば。得体の知れない責任感(自分の代わりなんてどうにでもなるのに)。自分が居るべき場所にいないという焦り——が1週間ほどたつと、だんだんバカバカしくなってきたのだ。
もっと自分の体や心をいたわらなきゃと、ようやくことの重大さに気づきはじめる。退院したら……丁寧に生きたいという言葉が浮かんできた。
いま50代という年齢。
ふり返れば20代後半で出産して子どもを保育園に預け、再び会社へでて働く生活。毎日があわただしく過ぎてゆく。そして頑張らなくては、もっと頑張れるはず、のくり返しだった。「猪突猛進」という四字熟語ぴったり当てはまる私だった。
違う方向へ向けていたベクトルを少しずつ少しずつ自分へ向けてゆく。
すっかり忘れていた、好きだったことを思いだそう。
日常のなかに在るささやかなことを丁寧に見つけだそう。
すると、ゆっくり自分の中に、何ともいえない至福感、安心感が広がってゆく。
ずっと何かを求めて探していたけれど、それはこういう気持ちだったのだと気がついた。
昨年秋、会社員を卒業した。
どんな私になりたい?
どんな私で在りたい?
どんな私で過ごしたい?
時間はたっぷりあるようで1日が過ぎてゆくのはあっという間。けれど与えられた時間をありがたく楽しむのだ。彩り豊かな日常。
ある日優雅に、ゆったりした気分でランチをいただく。
鮮やかなサラダに付いたバーニャカウダソースをニットにこぼしてしまった。ニンニクの香りが気になるのでせっせと拭く。
あれ? 優雅なつもりがニットを前後逆さに着ているじゃないの。
あいかわらず、うっかりが多い。
が、「前後逆さに着るのは、幸福のサイン!」をふと目にした記事のなかに発見。
まんざらでもない、むしろいいじゃないと思えるこの頃の私だ。
2022年冬
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
来し方をふり返る。打ち明ける。軽く決意表明。
これをひとつのパターンとすると、このパターンはまかなかにむずかしいのです。
① 来し方をふり返る→ くわしく書き過ぎない→/小出しにね。
② 打ち明ける→ 重くならないように/坦坦とね。
③ 決意表明→ 固くならないように/ユーモアとともにね。
もちろん例外はありますが、上記①②③をなんとなく頭に置いて書きはじめることをお伝えしておこうと思います。
「山岸かずこ」の「日々うっかり」は講座での初めての作品です。
この作品を通して、軽やかに書き手の時間を受けとめることができました。
前述の①②③が実現していたからです。肩のちからを抜いて、静かに書きはじめましたね。スタートを言祝ぎたいと思います。 ふ
ぐうたらの日 寺井融(テライ・トオル)
小学低学年(1950年代後半)のころの話である。母が寝込んでいたことから、休みの日、父が遊んでくれた。オートバイの前には弟、後ろに私を乗せ、よく郊外に出かける。姫タケノコやキノコ狩り。リンゴやトウキビもぎもあった。
ある日曜日、朝から雨。
「今日は中止だ。ぐうたらの日にしよう」と父。フトンは敷いたままである。兄弟でごろごろしていると、父が1冊の本と古びた英和辞書を持ってきた。
「これから本を読んでやるからな。忘れていた英語の復習にもなるし……」
イソップであったか、トムソーヤであったか。父が1、2頁、英文に目を通しては、子供らに粗筋を語ってくれる。それが正しいかどうか、こちらは皆目見当がつかない。父も手古摺っていたようで、話の続きを待たされることもあった。
こんなふうに外国物を読んでもらったおかげで、小学校の図書館から「世界少年少女文学全集」を借りてくるようになった。『巌窟王(モンテ・クリスト伯)』(アレクサンドル・デュマ)や『ハックルベリー・フィンの冒険』(マーク・トウェイン)、それに『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ)などである。特に、ヴェルヌ作品が好きで、『海底二万里』や『八十日間世界一周』などを、立て続けに読んだ。
父から「子供向けは、あくまでもダイジェスト版だからね。大人となったら、本格的に読み直したらよいよ」とアドバイスされる。
そのとき、「わかった」と答えたはずだ。
しかし、大人となってみても、実際に読み返した本は『十五少年漂流記』のみ。父の危惧通り、「ストーリーを知っているから」とか、「ほかに読みたいものがあるから」などと理由をつけて、いまだに原書はもとより全訳本も読んでいない。
話は替わる。私が、中学生になっていたときのことである。
「今日、外国人が工場見学にやってきたんだ。お父さんが案内したよ」
「それで、通訳がついていたの」
「いや、ついていないのさ。でも、だいたいは通じたよ」
父は、大正7(1918)年生まれである。英単語は、カタカナを振って覚えたクチではなかったのか。少々読み書きはできたとしても、喋ることは不得手であった筈?
否、まてよ。16歳で満洲に渡ってロシア人のところに下宿したと聞く。住んでいたのは、満洲の哈爾浜(ハルビン)である。だから満洲族、漢族、モンゴル族、朝鮮族、白系ロシア人、そして日本人と、雑多な民族が住み、多種多様な言語がとびかっていたのだ。喋るほうが、得意だったのかな。
息子の僕は、読み書きはもちろん、喋るほうもまったく駄目なのだが……。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
「今日はぐうたらの日にしよう」
なんという魅力的な誘いでしょう。
こんなことを云える大人でありたいです。
「寺井融」という作家のまわりには、お父様のみならず魅力的なひとがたくさん存在します。そうして作品にも登場します。
お母さま(本作では寝込んでおられますが、90歳代になったいまはお元気)。お孫さんたち。そうして夫人。
「寺井さん、夫人のカッコイイ台詞にずいぶん作品を助けられていますね」
と申し上げることがあるくらいです。
(そんなとき、寺井さんは、目を細めてえへへと笑うのです)。
皆さんも、そうでしょう。
身近なあのひと、このひとのことを書きたくなるのではないでしょうか。
たとえば……。
「父は誠実で、誰からも尊敬されていました」
なんて書き方はいただけません。これでは誠実さも、高潔なる人格も伝わりません。
本作「ぐうたらの日」のように、台詞であらわすと、人物の魅力が伝わります。それも、お定まりの台詞ではなく、ちょっと思いがけないようなこと、「今日はぐうたらの日にしよう」というような、ね。 ふ
エゴノキ siki (シキ)
ここのところ、きーん、という冷たい音がしそうなほどの寒さが続いている。早朝の気温がマイナス8度、日中も晴れているのにマイナス2度、などという「真冬日」は朝目覚めた時からなにか空気の質が違う。空も山も街も不思議な透明感がある。もしかしたら、この寒さこそがこの地に独特の透明感をもたらしているのかもしれない。
こんな日は、あたたかく家仕事ができるといい。ストーブを焚いてやかんにお湯を沸かしながら、グリーンシーズンに撮りためた写真を整理する。
降りそそぐひかり。ひかりにむかって広げた葉っぱの緑がまぶしい。
ああ、このエゴノキ。6月、烏川のせせらぎのなかで、たわわに白い花をつけてこぼれるように咲いていた。いくつかの花はすでに役目を終えて、「こぼれて」いた。ここからあと1週間もすれば、この樹の下は白いじゅうたんのようになるだろう。それは夏のはじまり。
植物たちのかがやきを遠く感じる、冬のひととき。
2021年12月
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〈山本ふみこからひとこと〉
短い作品のなかに、ぎゅっと季節感と、季節感へのあこがれが詰まっています。
植物図鑑で「エゴノキ」を調べました。
星型の白い花は、くるくるとまわりながら落ちるそうです。ことしは、どこかで会いたいな、と思いました。
さてところで、作品ちゅう、印象的に使われている「こぼれる」ということば。きれいなことばではありませんか?
「『こぼれる』という表現は、英語にはないのです。日本独特の感性から生まれたことばなんだね」
とアメリカ人の友人がおしえてくれました。
なんでもなくわたしたちが使っていることばを大切に、生かして使いたいものです。 ふ
アフリカ! 草香なお(クサカ・ナオ)
随分と長い間、私の部屋の壁には、世界地図が貼ってあった。
「アフリカに来るなら、1か月以上は休みをとってね。じゃないと私、案内しきれないから。」
友だちの良子ちゃんの言葉に、はっとした。アフリカって広いんだ……。良子ちゃんとは、私が東京で日本語教師養成講座に通っている時に知りあった。彼女はケニア生まれ、ケニア育ち。
(あ、良子ちゃん、ライオンの子供に似ている)
ボーイッシュなショーットカット姿で、アーモンドのような瞳を初めて見た時の、彼女の第一印象だった。両親は、ケニアでカシューナッツの工場を経営していた。アメリカの大学で学生をしている時に、日本に一度行ってみたい、と両親に頼みこみ来日したらしい。そして、偶然私と養成講座で知り合ったのだ。良子ちゃんは当然、英語がペラペラで当時、財政が乏しかった私に、ケニア人の友人の日本語のプライベートレッスンのアルバイトを紹介してくれた。無事に私が、日本語教師となり海外派遣になった時も、
「世界を闊歩しているのね」
と、絵ハガキをくれたっけ。その後、イギリスでおちあった時も、嬉しくて楽しかった。
その後の彼女はといえば、ケニアの自宅を建て直すとき、お父さんに「窓」のデザインを頼まれたといって、来日してステンドグラスを突然習い始めた。
もともと、アフリカには、小さな縁(えにし)が幾つかあった。
最初は、高校を卒業した春頃。上野動物園でアルバイトを始めた。私の配属は、「門」。東門と西門の職員さんの手伝いだった。職員さん頼まれて、朝一番にスズメに米をまいたり、動物たちを見ながら、各売店に回覧板をまわしに行ったり。雨の日は、倉庫で池のかるがもにあげる餌をつめたりした。そして昼休み、休憩室にいくと、各売店や食堂で働くバイトの仲間が休んでいて、たあいもないおしゃべりをした。その中の1人に、お金を溜めてアフリカに旅行にいってきた人がいた。
「シマウマのお肉はやわらかくて美味しかったけれど、ゴリラの肉は臭くてまずかったよ」
へぇ、そうなんだ!私の記憶にその話が、残った。
2つ目の小さな縁は、大学院で働いていた時の大先輩がアフリカまで旅行に行ってきて、楽しかったと話してくれたこと。その後、私は、中島らもの小説「ガダラの豚」――これは、アフリカの呪術信仰についての話だった——を、夢中になって読みふけった。アフリカは、いつだって現地で自分の目に飛び込んできたものを信じたいと、思わせるのだった。
何故、アフリカに行かなかったのだろう。飛行機代のことや、飛行機に乗っている時間が心配だったのは確かだけれど、やはり当時、良子ちゃんの言葉を信じた私は、ツアーで行くのは嫌だったのだ。大人になると、日本ではまとまった休みをとるのは難しい。そしてタイミングを逃した私は、アフリカにはいまだに行っていない。
アフリカ、それは私の中で越えられなかった壁。そして今、部屋に世界地図はもうなく、カーテンは静かに降ろされている。
2122年1月
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
いやいや、なおさん、アフリカへの旅は、これからかないますとも。そうして、このエッセイのつづきを読ませてくださいね。
「アフリカ!」のなかで、ぐっときたのはここです。
「シマウマのお肉はやわらかくて美味しかったけれど、ゴリラの肉は臭くてまずかったよ」
このように具体的で、風変わりなことに読者はつかまれるのです。経験を頭から順番に書いてゆきだけでは、つかまれようもありません。
ぴりりとした印象的な事柄を探すのも、選びとるのも、書き手の感性によるところです。
本作には漢字が多く、それゆえ紙面が黒っぽくなりました。
・漢字とひらがなのバランス。
・「、」「。」の打ち方。
・改行と1行アキ。
・会話の挿入。
というような事ごとは、作品の雰囲気をガラリと変えます。
漢字のはなしにもどりましょう。
本文中の下記の漢字をひらく(ひらがなにする)のはいかがでしょう。
ご参考までに。
随分 こども 時 嬉しくて 始めた 何故 難しい
たのしい作品をありがとうございます。
アフリカに行ってみたくなりました。 ふ
2022年2月の公開作品
初めての机 リウ真紀子(リウ・マキコ)
小春日和の日差しを受けて、まだ細く柔らかく産毛のように頼りない髪が段々と伸び始め、顔を縁取ってふわふわしている。
女の子はまだ3才になっていない。9月に妹が生まれてお姉ちゃんになったばかりだ。赤ちゃん返りして急に吃るようになり、両親は大層心配したようだが、初冬の頃にはようやく落ち着き、ひとり遊びして過ごせるようにもなっていた。自分らをパパママと呼ばせた両親は、まだ若い大人だった。
マコちゃんは1枚の写真の中で、段ボール箱の中に座っている。
箱の蓋を半分残し、半分をくり抜いたように細工したのは手先の器用なパパさんだ。その箱の横腹には、遊園地の小さな乗り物のように扉や車輪らしい絵が描き込んであり、乗り物に乗るように誘いかける工夫だったのだろうと思われる。が、マコちゃんにとって箱の前半分の蓋部分、つまり乗り物の屋根のところが、ちょうどいい机になって、それが誇らしいのだ。そこで絵本を眺め、紙と鉛筆やクレヨンを持ってきてグルグルと何かを書きつける練習をし、まだおすわりもできない小さな妹には到底まねのできない、机ごっこ遊びに熱中した。
小さな借家住まいの暮らしは、ちゃぶ台や座布団が中心で、もう少し寒くなると火鉢が出てくる。パパさんは学校の先生だから、お仕事の本物の机も隣の部屋にあったけれど、デンと大きなもので、ずっと後に聞いたところによると刑務所というところで作られた机だったそうだ。いくつも引き出しがあって、大切そうなものがいっぱい入っていて、大人たちの世界への入り口のように感じられた。
自分の段ボール製の机には引き出しはないけれど、すっぽりと箱に入るようにして座るとまるで自分の部屋に隠れているような気分だった。そこでひとしきりお勉強をして、もうおしまいと思ったら庭へ降りてパパさんの建ててくれたブランコに座った。そこでデタラメに歌いながら揺られた。うっかり短調のメロディを作ってしまい、歌っているうちになんだか悲しくなってべそをかいたりした。
自分にとって初めて机と思えるものに向かって過ごした一コマが白黒写真に記録され、今も鮮やかに思い返せる。傾いた日差しの暖かさまで感じられる。一眼レフカメラで撮ってくれた父はもう逝ってしまった。絵本を眺めていたマコちゃん(わたし)は、それからずっと本を読み続けている。パパさん、素敵な机のことをマコは忘れません。
2021年11月
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
マコちゃん、マコちゃんの感性、気質、雰囲気はいまにつながっていますね。
「うっかり短調のメロディを作ってしまい、歌っているうちになんだか悲しくなってべそをかいたりした」
このくだりを読んで、記憶の組み立てに感心しました。
ああ、とわたしはため息をつき、自分の子ども時代を思い返しました。ふ
思い出し笑い くりな桜子(クリナ・サクラコ)
「平均寿命は80歳より伸びているけれど、ある程度元気に生活できるのは、70代半ばくらいらしい」
Tさんはそう言った。
「えー?それじゃあ、あと10年ちょっとってこと?」
残り3人はショックを受け大騒ぎ。
1年ぶりに再開されたエッセイ講座の後、受講生4人のカフェでの会話だ。
話題は、といえばーー。
自分たちが子どもの頃読んでいた本のこと。子どもや孫の読書傾向について。本音で話すということ。自分に必要なもの。そしてそして愚痴も少々……。尽きることはない。
はあー、楽しい。こんなふうに気心が知れた人と話すのは。
1年も会っていなかったのに、まるで先月会ったようにすぐに打ち解けて話せるなんて。
昨日までは一時停止ボタンを押した状態だったのだ。そのボタンをもう一度押したとたん、再びすべてが動き出したというような不思議な感覚。
はあー、幸せ。コロナ禍で、息をひそめるようにして暮らしていた私が求めていたものは、これだったのね。自分が感じていることを思いきり話したかったのだ。わかってくれる人と。
小学5年生の時に母が亡くなり、中学1年生の時に父が亡くなった。中学生、高校生の時代は暗闇の中にいるようで、自分というものがわからずただただ苦しかった。そんな時に良い友だちなんてできるはずもなく……。辛い時にこそ良い友人が引き上げてくれるのが理想だが、そんなことは断じてない。友だちというのは、自分を映し出す鏡だから。
年齢と共に見えてくるものも増え、最近ようやく友だちというものがわかってきた気がする。
まだまだ話していたい。
そう思える人こそが友だちではないかしら。
件のカフェで、Kさんが言った。
「他人は変えられないので、自分が変わるしかありません、とよく言うでしょ。なんで私だけが我慢しなきゃいけないの? とひとり言を言ってるの」
「ほんと、ほんと」
と皆で大笑い。
帰りの電車の中で、その日1日を振り返り、楽しかった会話を反芻する。にやにやしてなかったかな。
良い友だちの条件をもうひとつ。
思い出し笑いができること。
2021年12月8日
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〈山本ふみこからひとこと〉
「コロナ禍で、息をひそめるようにして暮らしていた私が求めていたものは、これだったのね。自分が感じていることを思いきり話したかったのだ。わかってくれる人と」
……ほんとうですね。
エッセイをともに研究している仲間は、お互いのことをよく知り合っています。作品を通して、ゆっくり静かに知り合い、認め合ってきたのです。
「読む」と「書く」がつながっていることの証明のひとつとして、作品のなかでの、読み手と書き手の対話があります。
これが文章世界の醍醐味です。
この世から旅立った書き手との対話も可能になります……。
他者との出会い、対話の価値を感じながら書く、読むことが文化を育ててゆくのだと、わたしはこころから信じています。
読むことによって過去の書き手に影響を受けながら(支えられながら、と云っても過言ではないでしょうね)、書いてゆくのです。ふ
薄鼠色の海に はるの麻子(ハルノ・アサコ)
晩秋のとある日、ひとり京葉線に揺られていました。劇物入りのガラス瓶を潜ませたバッグをしっかりと抱えて……。
なにかの拍子に転んで、その瓶が割れでもしたら大変です。そんなことにならぬよう緊張していたわたしの目に、とつぜん青い海が飛びこんできました。
「こんなに近くで海をみるのは何年ぶりかしら」
車窓越しにきらきら光る波の面をながめているとワクワクと心が躍ります。電車を降りて海辺まで歩いて行きたい気分ですが、大事なミッションをひかえた身でそんなのんきなことはできません。
ほどなく新習志野駅に着きました。ここにあるS理化学研究所の工場でバッグに入れた塩酸500㏄を処理してもらうのです。
自宅の物置にはスプレー缶(殺虫剤や家具の汚れ落とし、ガラスの油膜とりなど)が、20本はあったでしょうか。それらはすべて両親が何十年ものあいだ放置していたもので、いわばわたしにとっての負の遺産ですが、その中にこの塩酸もありました。塩酸は金属も溶かす劇薬ですが、トイレの尿石とりに使われることもあるそうです。
この秋、物置に残されたものを子や孫に残さぬように、すべてを処分しようと思いたちました。何日もかけてスプレー缶の処理(中身を空にして容器を不燃ごみに出す)が終わっても、処分の仕方すらわからなかったのが、この塩酸。インターネットで処理方法を検索してみると、こうあります。
(1)20倍以上に薄めて下水に流す。浴槽の残り水に少しずつ混ぜればよい。
(2)苛性ソーダなどの強アルカリの薬剤と混ぜて中和してから捨てる。
(1)の方法は簡単そうですが、風呂釜や排水管、さらに下水道に悪い影響が出ないか心配です。
(2)は化学実験室でもない一般家庭で、劇物同士をどんな容器に入れ、いったい何でかき混ぜたらよいのでしょうか。それに塩酸を中和させるために強アルカリ性の新たな劇物を入手するのもおかしな話です。どちらの処理方法にしても一つまちがえたら取りかえしのつかないことになりそうで実行にうつす勇気が出ません。
困ったすえに区のごみ処理担当の部署に電話で相談すると、3件の処理業者の名前と連絡先を教えてくれました。その中のひとつがこのS理化学研究所でした。処理費用は1,000円、自宅まで引き取りを頼めば15,000円かかるとのこと。往復3時間かけてでも新習志野の工場まで持参することにし、この日ここまで来たのでした。
プレハブ造りのような事務所で住所や名前を記入し処理費を払ったあとで、塩酸の瓶を渡せば任務は完了です。たったこれだけのことですが、ずっと心に引っかかっていたことが終わってほんとうに晴ればれしました。
帰りの車窓からみえた薄鼠色のしずかな海に向かって思わす声に出して言うのでした。
「こんどはゆっくり眺めにくるからねー」
2021年12月3日
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
おもしろい話ですね。
引きこまれました。
わたしはですね、この作品を、後半まで事件の匂いを漂わせつつ仕立ててみたいと考えました。
劇物入りのガラス瓶。塩酸。
このことばが生みだし得る疑惑と、恐怖をできるだけひっぱるのです。サスペンス仕立てということになります。
さいごのさいごで「なーんだ、そうだったのか」と謎解きがなされるわけです。うまくゆくでしょうか。
その書き方をおすすめしているのではありません。
どんな作品も、いかようにも書くことができる、という見方を持っていただきたい。それをお伝えしたいのです。
思いこみを捨てて、まっさらな気持ちで構成を考えましょう。書きだしから、ちがってくるはずです。
「薄鼠色の海に」をサスペンス仕立てにする場合は、こんな書きだしになるでしょうか。
——こんなに近くで海をみるのは何年ぶりかしら
車窓越しにきらきら光る波の面をながめているうち、膝に抱えたバッグがだんだん重くなってきた。
京葉線の新習志野駅で降りたら、誰が待っているのだろう。
3日前電話をかけたとき、確かめでおけばよかった。待っているのは男だろうか。女だろうか。「S理化学研究所」の名前の入った車をさがせと、電話口の男は云った。
手元の紙に、「S理化学研究所」と急いで書いたが、他のことを何も聞かないうちに、電話は切れた。
——S理化学研究所……。
ところで、本作の書き手である「はるの麻子」。
これは昨夜、決まったばかりの筆名です。講座に長く連なるばかりでなく「ふみ虫組」を支えてくださる、あのひとですよ。ふ
丁字路 福村好美(フクムラ・ヨシミ)
国際線でも国内線でも、飛行機から眺める窓外の景色にはいつも心を動かされる。離陸途中に加速度を感じながら徐々に小さくなる臨海地域。水平飛行になってからの群青の空。果てしなく広がる雲海、山、島々、海岸線。
下降して着陸態勢に移行すると、道路を走行する自動車の流れ、工場、高層マンションとともに個人宅の屋根が徐々に大きく見え始める。夕方の明かりがともる家では、楽しく食事をしている家族もあれば、時として悲しみに沈む人たちもいるのだろう。
現役を引退した後は長距離の移動がない半面、都内を移動する際に、ひとりでコーヒーショップに入りゆったりと時間を過ごすことが多くなった。店によっては、1階のみならず2階、3階までスペースがあり、道路に面した一人用の席も設置されている。2階以上の席からは、飛行機ほどではないにしても、道路を行き来する人々の流れを鳥瞰(ちょうかん)することができる。
特に丁字路の突き当りに位置する席からは、正面から来た人たちの流れが店の前で分かれていき、左・右から来た人がむこう側に渡っていく。こちらからは顔までよく見えて動きを追跡できるのに対して、歩行者はまったくと言っていいほどこちらに注意を向けることがない。たとえ雲の上に幸せがあったとしても、いまやカラフルな映像と響き渡る音を流す巨大なディジタルサイネージ以外には、日常生活で歩行中に見上げる機会は少ない。待ち合わせ相手、バス停などの目標と進行方向の避けるべき障害物が、人の目線の高さ以下にあるためであろう。高所に設置された高機能カメラで行動をすべて追跡されても、本人はまったく気がつかない。
道行く人を見ていると、ほとんどが手提げかばん、ショルダーバッグ、バックパックなどを所持しており、何も荷物を持たない人は皆無に近い。向こうから足に包帯を巻き松葉杖に身を委ねて歩いてくる女生徒が見える。その横には、彼女のかばんを持った父親と思われる男性が心配そうに寄り添っている。事故か病気か、いずれにしても心身ともに疲れた様子がうかがえる。また、幼児に着物を着せ盛装した両親が楽しそうに行き過ぎていく。人それぞれ時によって浮き沈みがあるのだ。ただ、不運な出来事があったとしても、それを起点として新たな展開があったと考えることは可能であり、過去から現在に至る道程の俯瞰図(ふかんず)は、見方により暗くもなり、バラ色にもなる。
2021年11月26日
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
「福村好美」の作品に触れたことがない読者があったとしたら……、本作はどう受けとめられるでしょうか。
・ちょっと理屈っぽい。
・むずかしいことばを選んでいる。
・論文風の構成。
かつてふみ虫組の仲間たちも、そうでした。
「福ちゃんせんせい、もう少しやわらかく書いたらどうかな」というような声があったのです。
ところが時を経て、「福村好美」の文体、作品の構成に人気が集まるるようになりました。
理屈っぽさも、むずかしいことば選びも、論文風の雰囲気も、いまや愛すべき書き手の持ち味として、読者に受け容れられたのです。
持ち味を認められるというのは、うれしいものです。
「丁字路」という作品を、どうか皆さん、ゆっくり味わってくださいましね。
そうして、皆さんもおひとりおひとり、堂堂と、ご自身の持ち味を大切に執筆していただきたいと希っています。 ふ
2022年1月の公開作品
古希の魂 いわはし土菜(イワハシ・トナ)
最近、バスのなか、私のまわりはにぎやかだ。
同い年の人もそうでない人も、同い年の人ならなおさら、マスク越しのひそひそ話が止まらない。
古希を迎える……すなわち、都民はバスがタダになるのだ。
そしてバスに乗れば、だれか必ず友人知人に会えるのである(マンション集合村に住むため、バスは生活の友)。
最近、集中的に歯医者さんに通っているため、駅前までバスに乗る。
当初、文庫本をバックにしのばせ、片道20分の読書をしようと思っていたのだが、古希仲間に出くわしたら最後、文庫本を開く暇もなく、ひたすら無料になったバスの恩恵をおたがい語って、気がつけば駅前、終点到着である。
「もらった?」
「まだ……来月」なんて相手が云おうものなら、ちょっと上から目線で話す自分。
5月にすでにもらっていた友人が、9月生まれの私に語ったときがやはりそうだった。
「タダ」を話すとき、マスクからこぼれる笑顔。
どれだけうれしいか、熱がこもる。
どうしてそうなるのか説明に困るが、いままで生きてきたなか、ずーっとタダなんていう経験がないからだと思う。
厳密にはカード発行手数料千円が必要だが(註)。
タダより高いものはないと言われて育った世代だが、今や、世の中当たり前にボランティアが登場し、世の一助に欠かせない存在。
「タダ」は高いのではなく尊いのだ。
6、70代が人生一番いい時代と、ひとは言うが、できないことも出てきたり、メンドーになることもふえてきて、「歳をとる」ということは決してうれしい話ではない。
そんな中、私にも「尊い」をいただく刻がきたわけだった。
1年も経てば、この「尊い」も当たり前のこととなり、来年の古希集団にその歓喜は受け継がれていくのだろうが、私は忘れないでいたい。
久しぶりに、10月生まれの友人と同じバスに乗り合わせた。
貰いたてのホヤホヤの友人が言う。
「乗ったこともない路線の終点まで行こうよ、乗り放題だもの」
愉しそうだけど、ためらいも付いてくる提案である。
2021年12月2日
註)年金が一定金額を越えると1,000円では済まなくなります。
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〈山本ふみこからひとこと〉
「尊い」をいただくという受けとめ方が素敵です。
このことばを、わたしも、そっと胸のなかに置きました。たしかに「歳をとる」ということは、うれしい話ばかりではないけれど、本作の書き手のように、
「尊い」をみつけ、ユーモアを持って生きたいなあ。それは、世を照らす光だわ、と思うのです。 ふ
チンピンティー 寺井融(テライ・トオル)
どこで何を飲みたいか。
第1は、ホーチミン(ベトナム)のピーチティーである。
ドンコイ地区のサイゴンホテルから歩いて10分、小ぶりなマーケットの先、古い民家の1階にある喫茶店で飲んだ。何せ、大きな白桃が半個入っている。
缶詰から取り出したばかりという感じで、カップ内に鎮座しているのが好ましく、茶の香りも気高い。店の雰囲気も、昔の安南の暮らしもかくありなんと想起させられる。心が安らぎます。
第2は、シャン高原(ミャンマー)の茶店で飲むミルクティーである。
大釜に八分目ぐらいの水を張り、薪を焚いてガンガン沸騰させる。そこに茶葉をどっさり入れ、煮出させて誕生した紅茶を、あらかじめ用意しておいた大型カップに注ぐ。底には練乳がたっぷり仕込まれている。かき混ぜると、茶褐色の濃いイギリスティーとなった。これは甘い。そして、身体の芯からあたたまる。
イギリス人が愛したミャンマーの軽井沢、カローやメイミョなどでは、カーデガンが必要となる寒い日もあり、本当に助かるのです。
第3は、バリ島(インドネシア)のコーヒー専門店で飲んだ、ジャコーネコ・コーヒーである。店主に「この子のものです」と猫とウンチを見せられたけれど、そんな注釈は必要がなかった。どこでまろやかにさせるのか、猫の体内を通ったコーヒー豆は、軽やかで香りもあり、絶品でしたぞ。コーヒー豆を食べさせ続けると胃が荒れるらしく、時々、胃を休ませると聞いた。
ところで、絶対にかなわないのは、亡父の紅茶である。いつもはコーヒーだけど、ある日、紅茶を淹れてくれることになった。
「本当はレモンがいいんだけどな、今日はチンピンティーにするぞ」
昭和30年代前半のことである。輸入レモンは、1個が4、50円もしていたのではなかったか。盛りそば一杯を、食べることができる金額である。
「喫茶店でレモンティーを注文してみても、レモンは薄いひと切れだからな」
そう言って、干しておいたしなびたミカンの皮を入れた。
いつもの紅茶との違いは、あまり判らなかった。チンピンティーと言うのは「珍品茶」と書くのかと理解していたけれど、大人になってミカンの皮を陳皮ということを知った。漢方薬にも七味唐辛子にも使うとのこと。「チンピティー」が正しかったのである。
当時、使っていたのは、日本の某社の茶葉である。父は「リプトンも、売っているんだけどなあ」とも言っていた。いまならトワイニングやフォーション、ペニンシュラも、例にあげるのであろうか。
「紅茶は容器をあたためて、熱湯で」の教えは、守っている。
2021年11月25日
「月刊時評」2022年1月号より
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〈山本ふみこからひとこと〉
お茶が大好き。
これまで、美味しいと評判のお茶を飲もうとしてきましたし、「ティー」に関する読みものも、たくさん読んできました。
寺井融の「チンピンティー」は、好きなティー物語のベスト3に入ります。
書き手にくっついて、第1、第2、第3、そうしてお父さまのお茶のご相伴にあずかっている。そんな気持ちで読みました。ごちそうさまでございました。
ふ
ズボ連 草香なお(クサカ・ナオ)
先日、テレビでみた。とある有名な料理教室に通っている主婦たちの話。
スーパーで売っている出来合いのお惣菜を買うことに抵抗があり、買った後も、罪悪感でいっぱいになってしまう人が存外に多くて、主催者側が驚いたらしい。
この短い特集に、ぐぐっと私は、心をつかまれた。料理だけじゃない。人間は、サボると落ち込みやすい生き物だ。そして、番組に登場の料理家が、たまにはいいじゃない、という意味で「ズボ連(=ズボラな主婦連合会)」を発足したという。
料理家いわく、カット野菜を使ってもいいのだとか。
へぇ、面白い! 八百屋さんで、野菜をみていると心が落ち着くし、旬の野菜や果物には癒し効果があるのはわかっている。しかし、缶詰のホールトマトなどにも、栄養素はたっぷり詰まっていると聞くし、実際、カット野菜の栄養素はどうなの?……ちょっと調べてみる。うん、思っていたより悪くないし、値段も安い。ひとり暮らしの人が利用したくなる気持ちもわかる。目から鱗だ。
ちなみに、私には、この手の思い込みがありがちだ。おかげで、家の電子レンジも使いこなせていないし、無洗米も買ったことがない。またしても私の頭の中が、カチコチになるところだった。
昔、いたじゃないの。クラスに一人くらい。ふりかけだけでご飯を食べていたような仲間が。ふりかけだけでも、そうでなくても、私たちは、皆大きくなった。
なにより、自分で自分を許せないのは、体によくない。
サボる口実を探そうとする自分とそれを許そうとする自分。臨機応変、柔軟になりたい。
備えあれば憂いなしともいうし、頭の中にほんの少しだけ、カット野菜の余白も残しておこう。
2021年11月
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〈山本ふみこからひとこと〉
書き手の実感がこもっています。
その正直さに、読者はまいります。書き手の「正直」は読者の懐(ふところ)をゆるめ、共感を生じさせるのです。
「だから、正直に書きましょう」なんてはなしをするつもりはありません。
……いたしましょう風に何かお伝えするとしたら、こうです。
書き手の個性も、企ても、打ち明け話も……なにもかも、バランスを考えて構成しましょう。
台所で味つけをするときのように。
クライアントの受けをねらいつつ企画書を書くときのように。
アクセサリーや口紅を選ぶときのように。 ふ
はしゃがせて コヤマホーモリ(コヤマ・ホーモリ)
「はふーーー」
半露天の外湯でひとり、あごまで湯につかったわたしは、深く長く息をはいた。「まったくいつぶりよ!」と、コロナに突っ込みを入れながら、身体のすみずみまで温泉の効用が行きわたるよう、足を前へ前へと伸ばした。
6月、娘の誕生日にかこつけて、家族3人、温泉に出かけた。
夫と娘が仕事のため、翌日の昼までには帰らなければならない、思いつきのショートトリップ。それゆえにやってきたはいいが、主役の娘は、部屋でしばしリモートワークをせざるをえなかった。わたしもかつては幾度となく、終わらぬ仕事をたずさえて旅へ出かけ、新幹線や飛行機の中、宿の机で仕事をやっつけてきた(言葉は悪いが…)。
「がんばるのだよ」と心の中で先輩風を吹かせながら、その横で、いそいそと地ビールを飲み始める。お次は夕暮れ時のバーテラス。「どーぞどーぞ」とパソコンに向き合う娘に送り出されて、夫と季節のカクテルを飲みに行く。いないほうが集中できるものね。
18時、娘の仕事も終わり、揃っての夕食。
まずは娘の名前にちなんだ食前酒をサプライズで出していただく。グラスには庭で採れたという満月に見立てた金柑がぽっかり浮かんでいた。続いて、地の魚、肉に合わせて地酒をいただき、おいしくてうれしくてならない気持ちが最高潮に向かっていく。しかし、はしゃいでいると思われてはならない。高揚する気持ちを抑え気味にする、しているつもりのわたし。すぐに酔っ払い扱いをする娘の攻撃をかわすためである。
そんな娘も、すっぴんの頬をバラ色に染め、ほろ酔い顔ではないか。金髪で、攻め気味の服をいつもは着ているが、作務衣風の素朴な館内着とあいまって幼く見え、じゃれつきたくなった(これが酔っ払いといわれるゆえんですね)。
「ほっぺが真っ赤だよ~ふふふ」
「ままちゃんこそ!」(わたしの呼び名である)
ええ⁉ そういえばやけに顔が熱い。のそのそと鏡を見に行くと、どうしたことか、真っ赤っかではないか。お酒を飲んでもあまり顔色が変わらないわたしだが、温泉の効用か、自粛続きの爆発か、ゆでだこ寸前だ。
はしゃいでいるのが丸わかりのようで、急に恥ずかしくなる。水で頬を冷やしながら、適当なことを言ってごまかした。
2021年11月13日
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〈山本ふみこからひとこと〉
新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
書くことに関して、一歩前へ。2022年は一歩前へ、本気でまいりましょう。
2022年はじめの作品は、コヤマホーモリの「はしゃがせて」。
この感覚、いいなあ、好きだなあと思っています。わたしが「一歩前へ、本気で」と申しましたのは、この感覚に近いかもしれません。
はしゃいでいるのが丸わかりのようで、急に恥ずかしくなる。水で頬を冷やしながら、適当なことを言ってごまかした。
この、結びが、とても好きです。
本気を出すためには、はしゃぐ感じを持つ必要があるのかもしれません。
ただし、はしゃぐと、ひとは「甘み」を常よりもつよく醸します。そこは気をつけましょう。
どう気をつけるか。まずは、描く事柄を正確に綴ることです。
これだけで、甘みが抑えられます。
情報系統のことを必要とする場合は、よく調べて(webで調べてもかまいませんが、公式のサイトをさがすこと)、そのとき知り得るかぎりのものを置くようにしましょう。 ふ